市指定史跡 昭和52年3月25日指定

志賀家は、江戸時代初期から天領長崎3カ村の一つである浦上村渕庄屋を勤めた家柄で、始祖志賀親成(ちかなり・?〜1622)初代庄屋親勝(ちかかつ・?〜1640)以降、代々の墓碑20基がある。墓碑によると、志賀氏は豊後大友氏の庶流で大友氏除封後長崎に流寓、当時長崎奉行で同族同郷の竹中重興(しげおき)によって浦上渕の庄屋に任命されたといわれている。
11世親憲(ちかのり)は安政5年(1858)稲佐ロシア人休息地開設に関与し、その長男の親朋(ちかとも・1842〜1916)は、その環境から露語通訳となり、幕末にはロシア留学(1866)、維新前後には対露外交交渉(千鳥謙太交換条約など)に通訳として関与した。
長崎市の文化財より
