稲佐淵村の鵬ヶ崎(ぼうがさき)窯
鵬ヶ崎焼は、1823年(文政6年)、長崎代官・高木作右衛門の一族でもある蒲池子明 (秀吉)によって浦上村稲佐郷鵬ヶ崎(現・長崎市稲佐町)で開窯、1852年(嘉永5年)までの僅か30年間しか創業しなかった、まさに「幻」の長崎の雅陶。土には、長崎に入港する唐船の積荷うめ壷の欠片等を粉にして用いたといわれ、黒味をおびた硬質で厚手の焼き物。子明は儒学の教養もあり、風雅を愛したので、雅陶としての性格が強く、営業を主体とした窯ではなかったようである。
蒲池子明の墓碑は浄土真宗・東林山深崇寺(寺町)の後山に
2008年08月07日
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