2009年10月26日

浦上第一病院跡

浦上第一病院跡【現:聖フランシスコ病院】
浦上第一病院跡【現:聖フランシスコ病院】
 浦上第一病院はもともと、聖フランシスコ神学校として大正14年(1925)に建てられたものであるが、昭和18年(1943)男子フランシスコ会によって結核診療所として浦上第一病院開設、診療を始めた。しかし、昭和20年(1945)8月9日。原爆の爆風で大破し出火、のち内部は焼失、負傷者約70人を出した。同年11月、焼け跡に聖フランシスコ診療所が開かれた。昭和24年(1949) 聖フランシスコ第三会病院童貞会が男子フランシスコ会より移管され、聖フランシスコ病院を開設。今に至る。
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2009年09月27日

長崎・十字架山

長崎・十字架山 長崎市辻町25
長崎・十字架山 浦上切支丹殉教の歴史を語る道標であり、信仰の遺産でもある十字架山は、明治14年(1881)9月、当時の浦上教会主任プト師を中心として流配から生き残って帰ってきた高木仙右衛門ら信徒達によって築造された。
 禁教250年、幕府の厳しい弾圧と追害のなかで、生きては血を流し、生命を献げて信仰を守りぬき、死してはその功徳をもって子孫の信仰を守るため苛酷な拷問に耐え、信仰の自由を守り通したことへの神の加護を感謝し心ならずも踏絵を行った信者の罪と多数の信者を苦しめた為政者の罪を許していただくために贖罪と感謝の場所として主キリストの御受難の聖地エルサレムのカルワリオに似たこの丘を選んで築造された。
 当時の信者たちは競って労力奉仕にでた。十字架山にある大十字架の台石は4尺角もあり、この台石は60人の屈強な男たちによってふもとの本原郷「いしがみ」の石切り場から7日間を費やして頂上まで運び上げられたといわれている。
 昭和25年(1950)、当時の長崎教区長・山口愛次郎司教がローマを訪問。 教皇ピオ十二世に謁見のさい、十字架山を公式巡礼地と指定された。栄誉ある祖先の遺徳を偲ぶ聖地として巡礼者が絶えない。
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2009年09月26日

聖ヨゼフ堂跡

聖ヨゼフ堂跡 辻町17-1【十字修道院】
聖ヨゼフ堂跡 現在、長崎市辻町のお告げのマリア会十字修道院がある敷地内に、秘密教会の一つ、聖ヨゼフ堂跡がある。この地は潜伏キリシタンのリーダー的存在、高木仙右衛門の屋敷だった。幕府の捕方がここへ押し入り、仙右衛門と次男・敬三郎は寝込みを襲われ捕われる。これも浦上四番崩れへとつながった出来事である。また、仙右衛門の長男・源太郎は、明治15年(1882)プチジャン司教の手によって深掘達右衛門、有安浪倉と共に、 キリシタン復活後の日本最初の邦人司祭として叙階された人物。いずれも司祭館神学校(大浦天主堂の隣)で学んだ生徒である。
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聖ヨゼフ堂跡

聖ヨゼフ堂跡 辻町17-1【十字修道院】
聖ヨゼフ堂跡 現在、長崎市辻町のお告げのマリア会十字修道院がある敷地内に、秘密教会の一つ、聖ヨゼフ堂跡がある。この地は潜伏キリシタンのリーダー的存在、高木仙右衛門の屋敷だった。幕府の捕方がここへ押し入り、仙右衛門と次男・敬三郎は寝込みを襲われ捕われる。これも浦上四番崩れへとつながった出来事である。また、仙右衛門の長男・源太郎は、明治15年(1882)プチジャン司教の手によって深掘達右衛門、有安浪倉と共に、 キリシタン復活後の日本最初の邦人司祭として叙階された人物。いずれも司祭館神学校(大浦天主堂の隣)で学んだ生徒である。
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2009年09月25日

岩永マキと子供二人の立像

岩永マキと子供二人の立像 石神町14-48【浦上養育院】
碑文
岩永マキと子供二人の立像 「明治六年(1873)キリシタン禁制が解かれ、流配地から帰郷した岩永マキは、翌七年ドロ神父の指導のもとに、同志数名とともに、長崎近郊に流行した伝染病患者の救護に献身したが、その時残された孤児タケを育てたことが契機となって、孤児の家「子部屋」を創立した。これが浦上養育院の前身である。マキによって、始められたこの事業は、日本における福祉活動の草分けとなった。」
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2009年09月24日

社会事業家・岩永マキ

岩永マキ 嘉永2.3.3(1849.3.26)〜大正9.1.27(1920)
 明治大正期の社会事業家・浦上養育院の創始者
 浦上村の平(サンタ・マリア堂があった場所)に生まれ、先祖代々のキリスト教を信仰していた家柄であった。明治2〜6年(1869〜73)年、「浦上四番崩れ」教徒事件では、岡山藩鶴島に流配され、苦難の生活を送り明治6年(1873)、24歳のとき帰郷。
 明治7年(1874)、7月赤痢流行、8月台風襲来、11月天然痘発生などの災害の中で救護活動をするド・ロ神父を同志の女性3人と共に助け活躍する。その際生じた孤児棄児の養育施設(のちの浦上養育院)を、開き、生涯を孤児養育と救貧に捧げた。
 「無誓願修道会」を組織し「浦上十字会」と命名し会長就任した。長崎県各地の「女部屋」と俗称された修道的共同体の母体となった。
 マキの精神と事業はお告げのマリア修道会に継承されている。
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2009年09月23日

ドミニコ高木仙右衛門墓所

ドミニコ高木仙右衛門墓所 石神町【香蘭・こうらんば墓地】
 高木仙右衛門 文政7.2.12(1824.3.12)〜明治32.4.13(1899)
 幕末期の潜伏キリシタンの中心人物。聖名ドミニコ。
ドミニコ高木仙右衛門墓所 浦上山里村本原郷字辻(現 辻町)の農家に生れ、高木家は表向き仏教徒としながら代々キリスト教を信仰していた家柄であった。自宅を秘密聖堂(聖ヨゼフ堂)として開放し、礼拝と教理の学習に努めた。慶応3年(1867)にカトリックの葬式を行い、仏葬拒否の埋葬事件として逮捕されるが勇敢に抗弁、信徒の要となった。また潜伏キリシタンに対する弾圧事件の「浦上四番崩れ」(同年〜明治6年)では、ただひとり棄教せず、明治元年(1868)には新政府によって山口県津和野藩へ主要信徒とその家族と共に流刑された。
 明治6年(1873)信仰が自由となり浦上に帰郷しても、十字会に財産を寄進し浦上天主堂の建設に奔走したほか社会福祉活動に尽力した。
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2009年09月22日

長崎南山学園

長崎南山学園:上野町25-1(旧 浦上山里村中野郷)
東山学院校舎〔旧スチイル記念館(グラバー園内)〕 東山手町にあった旧東山学院の校舎を昭和8年(1933)カトリック長崎教区宣教師社団が買収し長崎公教神学校を開校。昭和15年(1940) 文部省の認可により長崎東陵中学校と改称する。第二次大戦後の昭和27年(1952)神言修道会に経営が移管され、名古屋・南山大学の姉妹校、南山学園として出発することになる。同年9月 旧制長崎工業学校跡(現長崎県立長崎工業高等学校)の現在地に新校舎が完成し移転。昭和30年(1955年)南山学園から独立し長崎南山学園による運営となる。
 ※ 旧東山学院校舎〔旧スチイル記念館〕は、現在グラバー園内に移築保存されている。

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2009年09月20日

長崎県立長崎工業学校跡

長崎県立長崎工業学校跡:上野町25-1(旧 浦上山里村中野郷)【長崎南山学園】
長崎県立長崎工業学校跡
 昭和12年(1937)4月、長崎市丸尾町水産試験場内元水産講習所跡を仮校舎として長崎県立長崎工業学校が開校し、専門技術者の育成が始まる。
 昭和15年(1940)4月、長崎市上野町に校舎を新築し移転。
 昭和20年(1945)8月9日原子爆弾の直撃を受け焼失し、校長以下教職員29人、生徒198人(行方不明6名)、計227人が犠牲となった。
 同年10月には大村市杭出津 元第21海軍航空廠工員養成所の仮校舎に移転し授業開始。
 昭和23年(1948) 6・3制学制改革により長崎県立長崎工業高等学校と改称する。
 昭和25年(1950)8月、長崎市家野町に移転。
 昭和46年(1971)3月、長崎市岩屋町に校舎を新築し全面移転し現在に至る。
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2009年09月19日

サンタ・クララ教会跡

サンタ・クララ教会跡(サンタ・クララ記念碑)・長崎市大橋町(旧浦上村家野郷川上)
サンタ・クララ教会跡 日本におけるキリスト信者発見百周年記念日の1965年(昭和40年)3月17日、ローマ 教皇パウロ六世の特使マレラ枢機卿により、このサンタ・クララ教会記念碑が祝別された。
 この地に1603年 (慶応8年)に建てられたサンタ・クララ教会はイスパニア人の宣教師アル ウァレス神父が司牧する浦上では、 当時ただ1つの教会だった。
 徳川幕府のキリシタン禁制によって、この教会が破壊されたあと、教会で働いていた孫右衛門は、神父を失った村人の間に、帳方・水方・聞役という”潜伏キリシタン”の地下組織をつくって信仰を固めた。 その後の250年、村人たちはこの教会の跡を祈りの場としていた。毎年夏になるとここに集まり、盆踊りをよそおって祈りをとなえていたという。
 司祭のいない迫害の時代に、信者の指導者が信仰を伝えるために献身し、信者発見後は、司祭と信者が一体となって働いた使徒職活動を記念すると共に、 この教会の保護者だった聖女クララのご伝達を祈るために、このサンタ・クララ記念碑が建てられた。
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