2008年04月24日

長崎・中島川の石橋群17

萬橋(よろずばし)(万橋)(第十四橋)
萬橋(万橋)
 萬橋は江戸時代、第十四橋と呼ばれ、萬屋町に架かっていたので「萬屋町橋」とも呼ばれが、1882年(明治15)に西道仙により「萬橋(万橋)」と命名される。萬橋は1678年(延宝6)京都商人・金屋喜右衛門によって架設された石橋で、同年(1678)の大雨で流されそうになり、橋にクサビを打ち込み流失を防いだことから「くさび橋」と呼ばれたこともある。中島川の一番下流の石橋である。1797年(寛政8)大水害で流失。1801年(享和元)公費で階段付き石橋が再建された。1915年(大正4)鉄筋コンクリート橋になり、1971年(昭和46)、2002年(平成14)再架された。
 2003年度グッドデザイン賞(建築・環境デザイン部門受賞)を受賞。
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2008年04月23日

長崎・中島川の石橋群

中島川に架かる路面電車の軌道用鉄橋
路面電車の軌道用鉄橋 中島川の万屋町〜賑町間に架かる路面電車の軌道鉄橋は長崎電軌軌道(株)によって架橋された。
 長崎電軌軌道は大正4年(1915)の第一期線:病院前(現・長崎大学付属病院正門登り口付近・浜口町)〜築町間の営業開始を皮切りに、1916年(大正5)千馬町(現・築町と出島の間)〜大浦海岸通り、1919年(大正8年)長崎駅前〜桜町、1920年(大正9年)7月、桜町〜諏訪神社前間と開通し、1920年(大正9年)12月、古町〜築町間が開通する。このとき中島川を渡る鉄橋が架けられた。
 なお、現在のものは1989年(平成元)に架けられた鉄橋ある。
路面電車の軌道鉄橋
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2008年04月21日

長崎・中島川石橋群と原子爆弾

長崎・中島川石橋群と原子爆弾
 本来の長崎原爆投下目標の照準点は中島川に架かる「常盤橋」から「賑橋」付近であった。
 1945年(昭和20)8月9日長崎は真夏の暑い日が続いていた。
 広島に続き第2弾の原子爆弾を搭載したB29「ボックスカー号」はマリアナ諸島、テニアン基地を出発、第一目標の北九州小倉市に向かった。小倉上空に到着した時、厚い雲と前日の空襲による焼煙が流れていた状況で、投下目標の目視確認が出来ない、また、残った燃料の量を考え、やむなく第二目標「長崎市」へと機首を向けた。
 最初の照準点であった市中心部の「常盤橋」から「賑橋」(近くには眼鏡橋がある)付近は雲で視界がきかず、禁止されていたレーダーによる投下準備に入った。その時、雲の切れ間から市北部の工業地帯を視認することができ、眼下に見える2つの三菱兵器工場(茂里町工場および大橋工場)の中間上空で原爆搭載機「ボックスカー号」は自動爆撃装置を作動させ、午前11時2分原子爆弾「ファットマン」を投下した。同時にもう一機から、落下傘付き爆圧等計測器(ラジオゾンデ)3個も投下された。
 本来の照準点である常盤橋から賑橋付近は、市中心部の商業地区である。ここで炸裂していたら………
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2008年04月20日

長崎・中島川の石橋群16

賑橋(にぎわいばし)(第十三橋)
賑橋(にぎわいばし)
 賑橋は江戸時代初めに木廊橋として架橋され、「榎津橋」または「第十三橋」と呼ばれた。1666年(寛文6)崇福寺の大壇越であった何高材(がこうざい)の寄進によって石橋に架けかえられたが、1795年(寛政7)の大水害で流失、1799年(寛政11)公費で再架橋された。1901年(明治34)フラットトラス構造の鉄橋に架け替えられ時、付近に魚市場があり賑わっていたことと、榎津町と材木町との間に架かっていて、どちらの町も「木」偏が付いていて、二つの木(き)が合う「にぎあう」ということで賑橋と改称されたと言われている。1928年(昭和3)鉄筋コンクリート橋になり、現在の橋は1990年(平成2)に再架されたものである。
 ※フラットトラス構造:三角形を一つの単位として構成された骨組みで、部材と部材の接点がすべてピン接合である構造
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2008年04月18日

長崎・中島川の石橋群15

常盤橋(ときわばし)(第十二橋)
常盤橋(ときわばし)
 寛永年間(1624〜1644)に、本古川町と本紺屋町の間に木廊橋の古川町橋(本紺屋町橋)が架けられる。1679年(延宝7)崇福寺の大壇越であった魏之※(王遍に炎)(ぎしえん)の寄進によって石造りのアーチ石橋に架け替えられた。1795年(寛政7)の大水害で流失し、1803年(享和3)公費で再架橋された。これまでは「古川町橋」「第十二橋」と呼ばれていたが、1882年(明治15)に西道仙が「古川橋」と命名。1912年(明治45)、本紺屋町、本古川町、西古川町、町民の寄付金で鉄筋コンクリート橋に架け替えられ、橋名を「常盤橋」に改称。現在のものは2001年(平成13)に再架されたものである。
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2008年04月17日

長崎・中島川と石橋群

清水崑のかっぱの「ぽんたくん」の像(中島川・袋橋脇)
清水 崑(しみず こん、本名:清水 幸雄・1912年(大正元)9月22日〜1974年(昭和49)3月27日)ペンネーム:崑 俳号:狐音(こおん) 昭和の漫画家。
碑文
清水崑のかっぱの「ぽんたくん」の像 「上潮にのって迷子になり中島川をのぼってきた子鯨を見つけて、少年かっぱのぼんたくん 背中に飛び乗り大喜び、昭和五十七年七月の大水害を忘れぬためにも、『ぼんたくん』をいつまでも可愛がってください。
『鯨見よ夕月縦に真半分 狐音(崑の俳号)』平成四年十月六日建立
※原作:清水崑 監修:清水恒子 製作:安藤士、平松実

 清水崑は、長崎市銭座町出身で旧制長崎市商業高校を卒業後上京、似顔絵描きをしながら絵の修行をする。
 代表作として、1945年(昭和20)代後半から1965年(昭和40)代初めにかけて描かれた「かっぱ川太郎」、「かっぱ天国」をはじめとする『かっぱシリーズ』がある。
 後に「崑かっぱ」と呼ばれるきっかけとなった『かっぱブーム』は、高度成長期の殺伐とした風潮の中で、ユーモアあふれる『崑かっぱ』は、ひとつの文化として人々に愛された。
 晩年の1971年(昭和46)からは長崎三部作展「くんちを遊ぶかっぱ展」、「長崎の春夏を遊ぶかっぱ展」、「長崎の行事を遊ぶかっぱ展」を長崎市で開催。1974年(昭和49)から「長崎くんち」に奉納されている東濱町の竜宮船のデザインも担当する。また母校長崎市立銭座小学校に「なかよし」と称したかっぱの壁画がある。
※ 長崎市中小島一丁目「中の茶屋」で清水崑の作品を見ることができる。

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2008年04月16日

長崎・中島川と石橋群

屋形船の纜石(ともづないし)
屋形船の纜石屋形船の纜石2
 袋橋の下には高さ80p程の屋形船用の纜石が残っている。中島川に船が行き来していたという名残でもある。
 中島川は、かつては船による海上輸送も盛んで、戦前までは中島川に屋形船が浮かぶなど、川の上での生活が見られていたが、次第に交通機関の発達や衛生上の問題などで利用する人も少なくなり、さらに1982年(昭和57)の長崎大水害以降、河川整備が進められ河川への出入が出来なくなった。

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2008年04月15日

長崎・中島川の石橋群

袋橋(ふくろばし)(第十一橋)
袋橋は橋名が二つある橋でもある、古川町側の親柱には「袋町橋」、栄町側の親柱には「ふくろ橋」となっている。
袋橋(ふくろばし)
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長崎・中島川の石橋群14

袋橋(ふくろばし)(第十一橋)市指定有形文化財 昭和46年10月21日指定
袋橋(ふくろばし)
 栄町から古川町間に架かっている袋橋(袋町橋)は、江戸時代初め(寛永頃)に木廊橋として架橋され、1647年(正保4)の大洪水で木廊橋は崩壊した。その後、石橋に架け替えられるが、親柱の擬宝珠等の形状などから慶安年間(1648〜51年)の築説と、1655年(明暦元)の築とする説がある。現存する石橋群の中では、眼鏡橋に次いで古い橋といわれている。
 1795年(寛政7)と1810年(文化7)の水害にも耐え、1982年(昭和57)の水害では半壊するが流失せず、1985年(昭和60)に修復されて、現在でも文化財ではあるが車も通り周辺商業地や住宅地等の主要な生活道路として重要な役割を果たしている。袋橋は西道仙によって命名。
 現在は、普通自動車を除き総重量1tまでの重量規制、2 輪車を除き24 時から翌朝6 時までの夜間通行止めなどの交通規制強化が平成19 年4 月より行われている。
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2008年04月12日

長崎・中島川の石橋群13

魚市橋(うおいちばし)(第九橋)
 1699年(元禄12)に岡正恒(大井手橋を架けた岡正敏の弟)の寄付によって今魚町〜諏方町に石造アーチ橋が架けられましたが、1721年(享保6)および1795年(寛政7)の大洪水で崩壊。1800年(寛政12)に長崎奉行所の費用で再架設されましたが、1810年(文化7)の大洪水で再び崩壊。石橋や仮木橋に幾度となく架け替えられ、1903年(明治36)、橋の中央部に旧石橋を転用した台座を設けた鉄橋となり、1925年(大正14)に鉄筋コンクリート橋となる。2006年(平成18)河川改修のため台座が撤去され現在の橋となった。石橋の姿はない。
 名称の由来は、この付近に魚市場ができたことから西道仙が「魚市橋」と命名した。
魚市橋(うおいちばし)(第九橋)
posted by 太鼓山 at 08:06| 長崎 | 長崎の石橋群 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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