2008年02月24日

東明山・興福寺2

黄檗宗東明山 興福寺(こうふくじ)2
 山門(あか門)指定有形文化財 昭和34年1月9日指定
興福寺山門(あか門) 
 総朱丹色の雄大な山門は長崎で一番の大きさ、1655年(明暦元)創建。
1663年(寛文3)市中の大火で伽藍(がらん)のことごとくを焼失、1690年(元禄3)に日本人工匠の手で再建された和風様式。1945年(昭和20)原爆で大破したが、その後復元された。

扁額「初登宝地」隠元禅師の書 正面の扁額「東明山」は隠元禅師が命名した山号。山門梁上(内側)扁額「初登宝地」は隠元禅師の書。
※ 山門に入ると、突き当りが石垣で参道が直角に曲がっている。この造りは、本堂(大雄宝殿)に邪気が直接入るのを防ぐ唐寺特有の魔除けのための伽羅配置である。興福寺の場合は参道である眼鏡橋から配置がされているという。

※ 伽藍とは、僧侶が集まり修行する清浄な場所の意味であり、後には寺院または寺院の主要建物群を意味するようになった。

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2008年02月23日

東明山・興福寺1

黄檗宗東明山 興福寺(こうふくじ)
 興福寺寺域県指定史跡 (昭和36年11月24日指定) 
 興福寺は、「長崎三福寺」(興福寺、福済寺、崇福寺)のひとつで、1620年(元和6)中国人がキリシタンでないことの証と唐船の航海安全の神、媽祖(まそ)を祀る寺として創建された。 わが国における最初の黄檗禅宗の唐寺(とうでら)。主として南京出身の船主らの寄付によって建てられたので「南京寺」ともいう。 また、雄大な朱丹色塗りの山門により「あか寺」として親しまれている。
 開基は江西省出身の眞円(しんえん)、眞円は1635年(寛永12)まで住職を務めた。 その後、二代目には眼鏡橋を架けたたといわれる唐僧・黙子如定(もくすにょじょう・1632年(寛永9)渡来)が住職に就いた。1645年(正保元)住職を三代目逸然性融(いつねんしょうゆう・近世漢画の祖)に譲る。
 三代目逸然性融は、新しい禅宗の日本への伝来を熱望し、当時、中国の福建省黄檗山万福寺の住職であった隠元禅師(いんげんぜんじ)を招請する事に尽力した。度重なる懇請によって隠元禅師は1654年(承応3)長崎へ渡海。 逸然性融は隠元禅師を住職に推薦し、自らは監寺に下がる。 1655年(明暦元)隠元禅師が東上すると、1656年(明暦2)正月から中興二代澄一道亮(ちんいどうりょう)が勤めるようになった。唐僧の渡来は、1700年代中頃にはなくなり、9代住職竺庵(じくあん)が本山の13代住職に就任すると、 以後は和僧が監寺として住職を代行、現在32代に至る。
 興福寺は、臨済宗黄檗派(明治9年から黄檗宗)発祥の地として記念すべき地となっている。
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2008年02月22日

長崎・聖寿山崇福寺11

お宝いっぱい!長崎・聖寿山崇福寺(そうふくじ)
【魚板】
魚板
 1831年(天保2)三門建築の棟梁・大串五良平らが寄進したもの。
木魚の原型
 魚の形をしているのは、魚は常に目を見開いていることから「惰眠(だみん)をむさぼるなという戒めの意」であるという。


【刹竿(せっかん)】
刹竿(せっかん) 旗竿石、港内から望見できる目印の旗を立て、媽祖神の菩薩揚げ、菩薩卸し行事のさい使われた。
 長崎の「5月5日の鯉のぼり」の際、鯉のぼりを揚げる時の、のぼり竿に引継がれているという。

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2008年02月21日

長崎・聖寿山崇福寺10

お宝いっぱい!長崎・聖寿山崇福寺(そうふくじ)
【鐘鼓楼】国指定重要文化財  指定年月日 昭和25年8月29日
soufukuzi14.jpg 重層の上層に梵鐘を吊り太鼓が置いてあり、鐘楼と鼓楼を兼ねている。創建は、1647年頃とされている。その頃は寺の最南隅にあり港の唐船から媽祖門、媽祖堂がよく見えたという。現在の鐘鼓楼の位置には大釜が置いてあり、1728年(享保13)、現存の鐘鼓楼が再建されたときに現在の場所に移っている。 1728年(享保13)の年号と木匠荒木治右衛門の墨書がある。上層は、梵鐘や太鼓の音を拡散させるために、丸窓・火燈窓等の開放された開口部が多い。

【梵鐘】 県有形文化財指定  指定年月日 昭和35年7月13日
 梵鐘は、1647年(正保4)鍛冶屋町の初代鋳物師阿山助右衛門の作。長崎市内の寺院の梵鐘を6個鋳造しているが、今ではこの鐘だけが残っている。
 鐘銘に当時の檀越名と寄進額が刻まれてあり、29名、554両に上がっている。

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2008年02月20日

長崎・聖寿山崇福寺9

お宝いっぱい!長崎・聖寿山崇福寺(そうふくじ)

【大釜】市指定有形文化財 指定年月日 昭和43年11月20日
聖寿山崇福寺・大釜
 1681年(延宝9)長崎が大飢饉に襲われ、餓死者もでた。その救済のために2代目住職千凱(千呆・せんがい)は托鉢に出て、自分の書籍や衣類、道具までも売り、庶民に粥を配っていた。施しを受けるものは連日数千人を超え、翌年になっても、更に飢餓がひどくなったため、翌1682年(天和2)に鍛冶屋町の阿山家二代目鋳物師安山(あやま)弥兵衛に大釜を造らせ、この大釜で粥を炊き、多くの難民を救ったといわれる。
重さ:約1,200kg、深さ:1.7m、直径:1.86m、釜代は1貫300目と伝える。
一度に米630kg(約10俵)、三千人分の粥が炊けたという。(一人茶碗一杯と仮定)

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2008年02月19日

長崎・聖寿山崇福寺8

お宝いっぱい!長崎・聖寿山崇福寺(そうふくじ)

【媽祖堂(まそどう)】 県指定史跡 指定年月日 昭和35年7月13日
媽祖堂(まそどう) 1794年(寛政6)の再建、基壇上にある「卍崩し」の木製勾欄が特徴。前廊の黄檗天井、半扉その他の黄檗様式と和様の細部様式とが混在している。
 媽姐(海上守護神で別名を天后聖母・天妃・菩薩)を祀ったお堂で、長崎の唐寺だけに見られる。向かって右に順風耳、左に千里眼の立像がある。当時の当船主らが海上安全を祈願して建てた。
 当寺の媽祖さまは市内で唯一衣装を着けており、数年に一度女性により着せ替えられる。 堂と門の間の石畳は、1671年(寛文11)に造られたもので長崎でも最も古い時代のものだと言われている。

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2008年02月18日

長崎・聖寿山崇福寺7

お宝いっぱい!長崎・聖寿山崇福寺(そうふくじ)

【媽祖門(まそもん)】 国指定重要文化財 指定年月日 昭和47年5月15日
媽祖門 媽祖門
 現存の媽祖門は、1827年(文政10)に再建されたもので、媽姐堂の門として、また大雄宝殿と方丈(僧堂)を結ぶ渡り廊下としての役割も兼ねている。八脚門三間三戸形式で、扉の前部は黄檗宗特有の黄檗天井で後部は山形(船底)天井となっている。 媽姐堂があるのは長崎の唐寺の特徴であるが、媽祖門を構えた媽祖堂は、崇福寺のみである。

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2008年02月17日

長崎・聖寿山崇福寺6

お宝いっぱい!長崎・聖寿山崇福寺(そうふくじ)
【護法堂】 国指定重要文化財  指定年月日 昭和25年8月29日
崇福寺 護法堂 享保16年(1731)中国工匠により再建された。扁額「護法蔵」の文字は即非禅師の書。
 中央に観音堂を、向かって右が関帝堂〔関聖帝(関羽)を祀る〕、左手には天王殿(韋駄天を祀る)が祀られてある。他の黄檗宗寺院(宇治の万福寺、長崎の聖福寺)では門の形式を残しているため、天王殿と言われているが、崇福寺では即非の「護法蔵」の額によってこの名が付けられ、仏殿として建てられている。 寺の創建時には天王殿、関帝堂、五帝堂とそれぞれ別々になっていたようである。 建築については、中国の切り組み材を用いたものであるが、破風や懸魚など日本的な様式も見られる。

◆この護法堂には面白い言い伝えがある。
 関帝像前に菓子や食べ物を供えると、よくねずみに食べられるので、ある日、即非禅師が関聖像に向かい、ねずみに食べられる罪を責めて右の頬を打つと頬の部分が剥げてしまった。翌朝見ると、韋駄天の剣がねずみを刺しており、まるで関聖の命令で韋駄天がねずみを退治したようだったそうです。 悔いた即非が、関聖帝像の右頬の修理をさせましたが、剥げた部分にいくら漆を塗っても剥げ落ちたという。 今もその跡が残っているようだ。


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2008年02月16日

長崎・聖寿山崇福寺5

お宝いっぱい!長崎・聖寿山崇福寺(そうふくじ)
本堂【崇福寺大雄宝殿】 国宝  指定年月日 昭和28年3月31日 
崇福寺大雄宝殿  釈迦(大雄)を本尊とする大雄宝殿は、唐商大檀越(だいだんおつ)何高材(がこうざい)の寄進により、中国にて切組み唐船で運び1646年(正保3)に建立された。市内に残る最古の建物。
 この大雄宝殿は、当初は単層、平屋建てであったが、1681年(天和元)の頃、日本人棟梁の手により上層部分が付加され2階建てに重層化された。下層(1階)は黄檗様式で上層(2階)は和様であるが、一見何の違和感もなく調和している。
前廊部分の黄檗天井(アーチ型天井)、軒周りの逆凝宝珠束など黄檗建築の特徴が見られる。
 1階屋根軒丸瓦の瓦頭には崇福寺の「崇」、2階屋根瓦頭には「福」の文字がある。

 大雄宝殿の本尊は釈迦如来坐像を祀り、向かって右脇侍に迦葉(かしょう)尊者、左は阿難(あなん)尊者ともの立像を従えている。みな中空の乾漆像。仏像群は仏師徐潤陽ほか2名の作。 三尊は1653年(承応2)造で、1935年(昭和10)頃の仏像修理の際、内部から「銀製の五臓」「布製の六腑」が胎内から発見された。内臓模型を入れるのは「生き身の釈迦」としてインドに伝説があり、金属製の内臓をもつのは我が国でもめずらしい例である。
 左右に並ぶ羅漢は中空の寄せ木造りで麻布を置き漆で固めたもの、1677年(延宝5)に作られた。普通は十六羅漢体であるが、宇治の万福寺と同じように、賓頭廬と慶友尊者が加わって十八羅漢となっている。

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2008年02月15日

長崎・聖寿山崇福寺4

お宝いっぱい!長崎・聖寿山崇福寺(そうふくじ)

四手先三葉栱(よてさきさんようきょう)」
四手先三葉栱
 第一峰門の軒下に四手先三葉栱と呼ばれる複雑巧妙な詰組みは国内に例がなく、華南地方にもまれと言う。
 軒下軒裏には極彩色の吉祥模様(宝づくし:瑞雲・丁子・方勝・霊芝)が施されてある。

第一峰門の扉
 第一峰門の扉には青い蝙蝠(こうもり)と牡丹の花が。
 蝙蝠は(びぇんふー)と中国で発音し「蝠」が「福」と同じ発音で幸福を、牡丹の花は百花の王、強さを表す縁起物。
第一峰門の扉第一峰門の扉の蝙蝠

posted by 太鼓山 at 08:44| 長崎 ☀| 唐寺四福寺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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