2008年03月06日

万寿山・聖福寺

黄檗宗万寿山 聖福寺 長崎市玉園町3-77
 興福寺、福済寺、崇福寺の「三福寺」と併せて「長崎四福寺」とよばれる黄檗宗の由緒あるお寺。
 聖福寺は延宝5年(1677)、京都宇治の黄檗山万福寺の末寺として開創された。開基は鉄心道胖(1641−1710)である。
 鉄心は唐商陳朴純と長崎の西村氏(松月尼)との間に生まれ、1661年(寛文元)、14歳のとき隠元禅師の高弟木庵(もくあん)に師事し、木庵にしたがって宇治の万福寺に登り修行。1705年(宝永2)には江戸白金台の瑞聖寺の住職を4年つとめ、再び長崎の聖福寺に帰り住持した。鉄心の後は鉄心の法系の和僧が住職に任じられ、唐僧が住職になることはなかった。後山には墓碑がある。(1710年)宝永7年10月3日没、70歳
 境内には黄檗建築の特徴が多くみられるが建築様式は和風で、崇福寺や興福寺とは違い、 鉄心が修行していた宇治・万福寺にならい伽藍様式で朱色塗りを極力さけたているため、2つの寺とはまた違った独特の威厳と静寂を放っている。 幕末維新以後、広東の人たちが多く帰依したため、「広東寺」と称した。
 ここ聖福寺は「聖福八景」として多くの文人が詩に詠んでいる。聖福寺は自然の森につつまれ、静かに当時のたたずまいをのこし長崎随一の景観の地である。 大雄宝殿、天王殿,山門などが県の有形文化財に指定されている。
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2008年03月05日

福済寺の穎川家(陳)の墓地

福済寺の穎川家(陳)の墓地
市指定史跡:昭和53年8月1日指定
 穎川家(えがわ)陳沖一(ちんちゅういつ)を祖とする唐通事界屈指の名門。寺院裏山の墓所に眠る陳冲一は、福済寺の第一の大檀越・陳道隆の父。道隆(墓は悟真寺)は唐通事を長年務め、蛍茶屋(長崎市本河内町)にある一ノ瀬橋を1653年(承応2年)に寄進している。ここは初代陳冲一、二代、四代、五代の穎川藤左衛門夫妻の墓碑がある。(六代目以降の墓地は別の地にある)。馬蹄形の石壁に囲まれた中国風のこの穎川家墓地と、これに隣る唐僧墓地だけが、その昔、この福済寺が唐寺であったという面影を残している。
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2008年03月04日

福済寺2

福済寺の唐僧墓地
市指定史跡 指定年月日:昭和53年8月1日
福済寺の唐僧墓地 福済寺の唐僧墓地とは歴代住持の墓所で、福済寺開基:覚悔、重興開山:薀謙(うんけん)、第2代:慈岳(じがく)の3人を祀った墓所は岩盤に掘られた「はめ込み式」の墓碑。
 正面右は、1628年(寛永5)中国福建省から渡来して福済寺を開基した唐僧・覚悔の墓碑で、弟子の了然と覚意も併せて祀られている。中央の墓碑は、福済寺の重興開山唐僧・蘊謙禅師の墓である。薀謙は山号を分紫山とし、大雄宝殿、青蓮堂(観音堂)、庫裡・大観門などの整備を進めた人物である。1673年(延宝元)64歳で示寂した。向かって左の墓碑が、二代住持唐僧・慈岳禅師の墓である。1681年(天和元)の長崎大飢饉にあたっては、率先して施粥を行った人物。1689年(元禄2)58歳で示寂した。


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2008年03月03日

福済寺

福済寺(黄檗宗・分紫山)長崎市筑後町2番
 1628年(寛永5)明国泉州の唐僧・覚悔禅師が弟子の了然と覚意の二僧を伴って開山した。当初は船神媽祖を祀る道教的な小堂であった。1649年(慶安2)には泉州人の唐僧・蘊謙禅師が重興を開山する。檀家は当初、中国福建省泉州人が多く、後にショウ(さんずい+章)州人の人達が多く帰依した。泉州寺やショウ(さんずい+章)州寺と称され、興福寺、崇福寺とともに唐三か寺と称された。1655年(明暦元)に木庵が渡来し開法開山となった。境内には大雄宝殿、護法堂、弥勒殿、開山堂、青蓮堂、鐘鼓楼、大師堂、大観門、中門、山門、書院などがあり、その多くは国宝に指定されていたが、1945年(昭和20)寺院は原爆で焼失、現在この福済寺が唐寺であったという面影を残すのは、裏山の唐僧墓地と潁川家の墓地だけである。
福済寺及び其の付近の図【長崎名勝図絵】
文政年間の福済寺及び其の付近の図【長崎名勝図絵】
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2008年03月01日

東明山・興福寺8

黄檗宗東明山・興福寺(こうふくじ)8
魚板(鱖魚・けつぎょ)
 庫裡(くり)の入口にさがる巨大な魚板、正式名称を「はんぽう」といい、お坊さんたちに飯時を告げるため叩いた木彫の魚。この魚板は全国の禅寺によくあるが、興福寺のものは日本一美しいと定評がある。けつ魚は揚子江に住む幻の魚といわれています。 長年叩かれたので、腹部は凹んでいますが、当時は叩く音が遠くまで聞こえ、山裾までとどいていたそうです。
 もうひとつ並んでさがる小振りの魚板は雌で、雄雌一対で懸けられるのは大変珍しい。雄の口にふくむ玉は欲望、 これを叩いて吐き出させるという意味をもち、木魚の原型とみなされています。
魚板・雄魚板・雌

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2008年02月29日

東明山・興福寺7

黄檗宗東明山・興福寺(こうふくじ)7
旧唐人屋敷門(長崎市所有)国指定重要文化財(昭和36年6月7日指定)
旧唐人屋敷門 1689年(元禄2)、十善寺郷(現在の館内町)に唐人屋敷が完成。市内に散宿していた唐船主以下中国人は民宿を禁じられ唐人屋敷に収容された。
 約3万uの広大な敷地内には住宅、店舗、祀堂などが軒を連ね一市街地を形成した。その後数度の火災があったが、1784年(天明4)の大火で天后堂(関帝堂)を残し他はことごとく焼失。この唐人住宅門だけが民家の通用門として遺存していたのを、1960年(昭和35)保存のため中国に縁の深い興福寺境内に移築された。扉は二重で内門は貴人来臨専用。 用材は中国特産の広葉杉、柱上部の藤巻、脂肘木、鼻隠坂、懸魚などに中国建築特有の様式が見られる。建築年代は不明だが、1784年(天明4)大火以降のものと推定される。

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2008年02月28日

東明山・興福寺6

黄檗宗東明山・興福寺(こうふくじ)6
三江会所門(さんこうかいしょもん) 県指定有形文化財(昭和37年3月28日指定)
興福寺 三江会所門 長崎在留の清国人のうち三江(江南・江西・浙江の3省)出身者が1878年(明治11)三江会を設立し興福寺に事務所を置いた。1880年(明治13)その集会場として三江会所が建てられた。
 主屋は1945年(昭和20)原爆により大破し、門だけが遺存する。中央に門扉、左右は物置の長屋門式建物で、門扉を中心に左右に丸窓を配し、他は白壁、門扉部分上部の棟瓦を他より高くした意匠は簡素清明。 大雄宝殿と同じ中国工匠の手によるものと思われる肘木(ひじき)、虹梁(こうりょう)、彫刻など細部手法は純中国建築様式で、敷居は高く、これは、豚などが門内に入らないよう工夫した「豚返し」と呼ぶ中国民家の様式。

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2008年02月27日

東明山・興福寺5

黄檗宗東明山・興福寺(こうふくじ)5
「鐘鼓楼」 県指定有形文化財(昭和37年3月28日指定)
興福寺鐘鼓楼 1663年(寛文3)の市中大火のあと1691年(元禄4)に五代悦峰禅師が再興。後に日本人棟梁(高木弥源太・同久治平)により1730年(享保15)位置を変えて再建、その後もたびたび修理が加えられた。和風建築様式で、重層の上階は梵鐘を吊り太鼓を置き、階下は禅堂に使用された。梵鐘は戦時中に供出して今はない。 上層は梵鐘、太鼓の音を拡散させるため、丸い花頭窓を四方に開き周囲に勾欄を付け、軒廻りには彫刻をほどこし、他の木部は朱丹塗り。 屋根の隅鬼瓦は外向き(北側)が鬼面で厄除け、内向き(南側)が大黒天像で福徳の神という珍しいもの。「福は内、鬼は外」の意味といわれ日本人棟梁の工夫である。
興福寺鐘鼓楼大黒天像瓦興福寺鐘鼓楼鬼面の瓦
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2008年02月26日

東明山・興福寺4

黄檗宗東明山 興福寺(こうふくじ)4
 興福寺媽姐堂(まそどう)(海天司命堂)県指定有形文化財(昭和37年3月28日指定)
興福寺媽姐堂(まそどう) 媽姐(まそ)は、「天妃」「天后聖母」「菩薩」などの呼び名がある。航海の守護神で、華南地方で深く信仰された。 長崎へ来航する唐船には必ず「媽祖」が祀られ、在泊中は、船から揚げて各由縁の唐寺の媽祖堂に安置した。これを「菩薩揚げ」といい、賑やかに隊列を組んで納めたという。
 興福寺は、1663年(寛文3)の市中大火で境内の建物はことごとく焼失した。媽祖堂再建の年代は諸説あるが、堂内正面に1670年(寛文10)の扁額「海天司福主」が現存することから、大火後7年目の寛文10年頃には媽祖堂は整備されたものと考えられている。
 中央に、本尊・天后聖母船神(媽祖神)、脇立は赤鬼青鬼と呼ばれる千里眼と順風耳。崇福寺と異なり媽祖門がない。建築様式は和風を基調とし内外総朱丹塗、黄檗天井の前廊、半扉、内部化粧屋根裏風天井など黄檗様式を加味し、また軒支輪のある建物は珍しく、貴重な建築資料である。内部の左右側壁には棚が設置され、在泊船の媽姐像を安置する菩薩棚がある。

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2008年02月25日

東明山・興福寺3

黄檗宗東明山 興福寺3(こうふくじ)
興福寺本堂(大雄宝殿)国指定重要文化財(昭和25年8月29日指定)
興福寺本堂(大雄宝殿) 本堂を大雄宝殿と呼ぶのは釈迦(大雄)を本尊として祀ることからくる。正面壇上に本尊釈迦如来、脇立は準提観音菩薩と地蔵王菩薩を祀る。
 1632年(寛永9)第二代黙子如定禅師が創建。1689年(元禄2)再建、1865年(慶応元)暴風で大破したため、1883年(明治16)再建され現在に至る。材料は中国で切り込み、中国から招いた工匠が作った純中国式建築。
 柱や梁には巧緻な彫刻、とくに、氷裂式組子(ひょうれつしきくみこ)の丸窓、アーチ型の黄檗天井、大棟の瓢瓶(ひょうへい・災害が振りかかると瓢瓶が開いて水が流れ、本堂を包み込むという意がある火除けのおまじない)高さ1.8mなどが珍しい。
氷裂式組子瓢瓶
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