2008年03月16日

万寿山・聖福寺11

黄檗宗万寿山・聖福寺
映画「夏解」の舞台・聖福寺
 瓦塀より墓地へ通じる石段を上りきったら、聖福寺の屋根越しに長崎の風景が広がる。
長崎出身の歌手・さだまさし氏が地元長崎を舞台に描いた小説「解夏(げげ)」が映画化(2004年)され、長崎の随所で撮影が行われたが、その際、ここ聖福寺もロケ地となり、主人公〔高野隆之(大沢たかお)〕が、かくれんぼをした幼い日の記憶や、『解夏』という言葉の意味が明らかになる重要な場所となったところです。
映画「夏解」の舞台・聖福寺
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2008年03月15日

万寿山・聖福寺10

黄檗宗万寿山・聖福寺
瓦塀
 明治中期築造。大雄宝殿横には珍しい瓦塀がある。これは明治初期、聖福寺の末寺5寺中3寺が廃寺となる際に、廃材の屋根瓦の一部を積み重ねてできたもの。鬼瓦や様々な瓦がはめ込まれた芸術品。
聖福寺瓦塀
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2008年03月14日

万寿山・聖福寺9

黄檗宗万寿山・聖福寺9
市川団十郎の供養塔
 1835年(天保6)、7代目市川海老蔵(7代目団十郎)とその子8代目団十郎が、祖先の供養と子孫繁栄を祈って建てた供養塔。
市川団十郎の供養塔市川団十郎の供養塔
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2008年03月13日

万寿山・聖福寺8

黄檗宗万寿山・聖福寺
惜字亭(しゃくじてい)
 市指定有形文化財(昭和55年1月19日)
惜字亭 経文その他、寺内の不要文書類を焼却するための炉で、惜字亭という名称は大変奥ゆかしい。れんが造り漆喰塗りの六角形で、築造は1866年(慶応2)7月といわれている。
幕府の要請により、長崎製鉄所建築指導のため、1858年(安政5)長崎に来た、オランダ海軍技術士官によって赤れんがの製造法がもたらされた。1868年(明治元)12月に建築された小菅修船場跡(国指定史跡)に現存する曳揚小屋も、その赤れんがが使用されている。この惜字亭はそれより2年ほど早く、中国人信徒によって築造寄進された。
赤く塗るのは、防腐剤とも魔よけともいわれている。

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2008年03月12日

万寿山・聖福寺7

黄檗宗万寿山・聖福寺
聖福寺石門
 市指定有形文化財(昭和55年1月19日)
聖福寺石門 長崎草創期前の栄えた大寺、崇岳神宮寺は、盛衰を重ね無凡山神宮寺として明治を迎えたが、廃仏毀釈のため寺は廃滅、金比羅神社となった。この時、仏像仏具その他仏寺に関係する一切が撤去されたが、境内に残されていた石門を1886年(明治19)聖福寺が譲り受け、現在地に移築した。中央に唐僧木庵筆「華蔵界」の文字を刻むが、木庵は1657年(明暦3)崇岳山頂の絶景を賞して「無凡山」と題し大書した。それが山頂の巨石に彫られているが、この石門もそのころの建造と推定されている。
長崎市の文化財資料参照


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2008年03月11日

万寿山・聖福寺6

黄檗宗万寿山 聖福寺
キリシタン史を物語るじゃがたらお春の石碑
キリシタン史を物語るじゃがたらお春の石碑 大雄宝殿前の庭には禁教時代の悲話が秘められた「じゃがたらお春」の石碑がある。1639年(寛永16)、キリシタンの禁教政策の一環として多くの混血児と、その中に、イタリア人航海士と日本人マリアとの間に生まれた15歳のお春も、母、 姉と共にジャカルタ(ジャガタラ)に追放された。以来長崎の幼なじみの「おたつ」に望郷の思いを手紙に綴り、長崎へ送ったといわれている。
 この石碑の裏には、そのようなお春を哀れんだ歌人・吉井勇の歌が刻まれている。
『長崎の鶯は鳴く いまもなほ じゃがたら文の お春あはれと』
吉井勇のお春を哀れんだ歌
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2008年03月10日

万寿山・聖福寺5

黄檗宗万寿山・聖福寺5
梵鐘「鉄心の大鐘」
市指定有形文化財(昭和51年12月15日)
聖福寺梵鐘 中門にあたる天王殿をくぐり境内へ入ると。左側に鐘鼓楼がある。
この梵鐘は、1717年(享保2)10月この聖福寺2代目住持、暁巌元明のとき金屋町の3代・藤原朝臣安山弥兵衛国久が改鋳したもの。1694年(元禄7)初代住持・鉄心道胖のとき、初めて梵鐘が造られたが、僧の鉄心が有名であったので、今日までこの改鋳された梵鐘も、俗に「鉄心の大鐘」と言い伝えられている。
金屋町の3代が鋳造した梵鐘は、この聖福寺の梵鐘だけとなっている。
梵鐘の総高(龍頭を含む)・183p 龍頭・42p  口径・111p  肉厚(鐘厚)・11p

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2008年03月09日

万寿山・聖福寺4

黄檗宗万寿山 聖福寺4

聖福寺大雄宝殿:1678年(延宝6)創建
県指定有形文化財(昭和36年11月24日指定)
聖福寺大雄宝殿 釈迦(大雄)を本尊として祀る仏殿。1715年(正徳5)に改築されたもの。棟梁は長崎の人。色彩は扉その他局部にとどめ、素木を主体とするが、細部に黄檗建築の特徴を表す。 正面半扉の浮彫り彩色の桃が珍しい。石造基壇上正面の朱塗り卍崩しの勾欄(手すり)は他に崇福寺媽祖堂の例があるだけ。屋根の釉薬かけ瓦は肥前武雄産であり、長崎では他に例がない。

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2008年03月08日

万寿山・聖福寺3

黄檗宗万寿山 聖福寺3
聖福寺天王殿:1705年(宝永2)建立
県指定有形文化財(昭和36年11月24日指定)
聖福寺天王殿 天王殿という名称は中国伝来のものである。左右を通り抜けとした門。中央に山門側と大雄宝殿側に背中合わせに仏殿がある。山門側が「弥勒堂」で、黄檗宗では弥勒菩薩の化身とされる布袋さんがにこやかに鎮座いている。 大雄宝殿側は「護法堂」で、守り神・韋駄天が釈迦の説法を剣で護っている。仏殿と門を兼用する独特の形式を持っている。中門、弥勒門、護法堂などの別名がある。棟梁は山門と同じ堺の人。

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2008年03月07日

万寿山・聖福寺2

黄檗宗万寿山・聖福寺2

聖福寺山門:1703年(元禄16)建立
聖福寺山門 県指定有形文化財
(昭和36年11月24日指定)

 堺商人の寄進で棟梁も堺の人。堺で木材を切り組み、海路で長崎へ運んだ。瓦も堺産。
 三門形式で持送りなどに黄檗様式の特徴が見られる。

 山門の扁額は隠元禅師が81歳の時に書いたものといわれる。
隠元禅師の書・聖福寺山門の扁額
posted by 太鼓山 at 09:41| 長崎 ☀ | TrackBack(0) | 唐寺四福寺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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