2007年06月19日

長崎事始め・バトミントン

長崎事始め
バトミントン
 長崎出島オランダ商館跡に「バトミントン伝来之地」の記念碑がある。
紅毛雑話 江戸時代の蘭学者・森島中良(1754〜1808)が編集し、その兄で医師の桂川国瑞(甫周)が、天明7年(1787)に刊行した「紅毛雑話」(長崎市立博物館所蔵)に「羽子板並羽根」の見出しでインドネシアの少年達が暇なとき遊んでいた、羽子板を「ラケット」、羽根を「ウーラング」というとイラスト入りで紹介されている。


漢洋長崎居留図巻 
 江戸時代に描かれた「長崎阿蘭陀屋敷絵図」(長崎歴史文化博物館蔵)絵巻物「漢洋長崎居留図巻」にも、出島オランダ屋敷でインドネシア人がバトミントン風の遊びを楽しむ図がある。

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2007年04月08日

我が国鉄道発祥の地跡

我が国鉄道発祥の地跡(長崎市立市民病院(長崎市新地町)右側)我が国鉄道発祥の地跡
 慶応元年(1865)英国人貿易商トーマス・グラバーは、日本で初めて英国製の蒸気機関車アイアン・デユーク(鉄の公爵)号を今の長崎市民病院(旧長崎税関)から松ヶ枝橋(旧ドイツ領事館)の方向に約500mのレールを敷き2両の客車に人々を乗せ走らせた。集まった人々は黒い煙をもくもくと吐いて力強く走る陸蒸気に、驚きの歓声を上げて見物した。この試走は日本近代化の牽引車になった。市民病院前には「鉄道発祥の地」の碑がある。

以下参考
 ※ 嘉永6年(1853)ロシア使節プチャーチンが開国を迫って長崎に入港した折、旗艦パルラダ号の士官室で、佐賀藩士、オランダ通詞等に蒸気機関車の模型を円卓の上で動かしてみせた。
 ※ 安政元年(1854)アメリカの使節ペリーが横浜へ再度来航したとき、蒸気機関車の模型を将軍に献上し、遊園地の汽車ほどの大きさだが、横浜で屋根の上に人を乗せて試運転された。
 ※ 安政2年(1955)ロシア軍艦パルラダ号士官室で模型蒸気機関車の運転を見た佐賀藩士が、模型蒸気機関車を製作した。
鉄道の開業
 ※ 日本初の一般鉄道営業開始−明治5年5月7日(新暦1872年6月12日、仮開業。品川〜横浜)
 ※ 日本初の一般鉄道正式開業−明治5年9月12日(新暦1872年10月14日)横浜―新橋間の29kmに鉄道を開業した。
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2007年04月07日

我が国最初の気球飛揚の地跡

我が国最初の気球飛揚の地跡熱気球揚げる図「長崎名勝図絵]より
碑文より
我が国最初の気球飛揚の地跡(旧・梅ヶ崎 所在地:長崎常磐町)
 文化2年(1805)1月8日、当時入港中のロシア使節レザノフ一行の軍艦乗組員がこの地から当時、日本人が見たことのない、今でいう熱気球を揚げて見せた。
 自国の先進ぶりをアピールしたものと思われます。
この絵の使節居所の玄関に、ロシア護衛兵2人が描かれており、クルーゼンシュテルン紀行の絵にもその2人が描かれている。
 これが、船医ラングスドルフによる気球飛揚がロシア仮館の中庭であった証である。
※ 気球落下の場所は、環海異聞に「水主町(カコ町)」とあるが、これは、長崎古今集覧に「元籠町(現在の籠町)」酒屋斎藤三郎助裏手屋根墜ち」とある。
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2007年03月29日

日本に最初に入ってきたピアノ

※ 長崎検定復習に関連した解説
日本に最初に入ってきたピアノ
 文政6年(1823) 6月、ドイツ人医師シーボルトが長崎に渡来したときにピアノを持参してきており、出島商館で奏でていたという、これが日本に最初に入ってきたピアノといわれています。文政11年(1828)にシーボルトが帰国する際に、長崎で親交を結んだ、長州藩の御用商人だった萩の熊谷家4代・熊谷五右衛門義比に、このピアノをシーボルトが贈っている。内部には「わが友クマヤへお別れのために」という書きつけも残る。足を外し、持ち運ぶこともできる小型のピアノで現在は山口県萩市の熊谷美術館に展示されている。
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2007年03月28日

日本のボウリングの発祥地

※ 長崎検定復習16・問63の解説
日本のボウリングの発祥地
 文久元年(1861)6月22日に長崎外国人居留地内の広場場通りに、(現在の大浦町2-17あたりにあったらしいが、明治2年に現・松ヶ枝町(ボウリング日本発祥地の石碑がある)に移転した)我が国初のボウリングレーン付社交サロン(ボウリング場)が開設された。
 ボウルは大中小の3種類あり、ダイヤ形に並べる9ピン。指穴はなく抱えるようにして投げる。レーンの長さは現在の3分の2程度、ボウルを投げ、倒れたピンをピンボーイが元の位置に並べ、ボウルを運んで返却する。
 長崎で発行させた日本初の英字新聞(ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー)文久元年(1861)6月発行に、居留地広馬場に「国際ボウリング場」開設を知らせる広告が次のように出ている。
 私儀、居留地の皆様方へ「インターナショナルボウリングサロン」の開設を謹んでご通知申し上げます。最高級銘柄のワイン及び様々な種類の酒を格安にて販売致す予定で御座います。従業員一同、誠心誠意お客様へのサービスに努める所存で御座いますので、お引き立ての程何卒宜しくお願い申し上げます。 
 ヘンリー・ギブソン
 文久元年(1861)6月22日   長崎
posted by 太鼓山 at 17:25| 長崎 ☀| 長崎事始め | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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