2009年02月10日

原爆の破壊エネルギーの割合

第4回長崎歴史文化観光検定1級問題

原爆の破壊エネルギーの割合は

 長崎の原爆は、プルトニウムを使ったもので、TNT(トリニトロトルエン)火薬換算で21,000t相当といわれています。高度約500mで爆発しました。その際、全体のエネルギーの約50%が爆風、約35%が熱線、残り約15%が放射線(初期放射線5%、残留放射線10%)として放出されたと推定されています。爆風は、爆心地直下では、秒速440mになったといわれ、熱線の地表面温度は、爆心地では瞬間的に3000〜400度にたしたといわれています。これらのエネルギーは、爆心地から遠ざかるにつれ減少しました。
(広島の原爆は、ウランを使ったもので、通常のTNT火薬換算で16,000t相当といわれています。)
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2009年02月07日

長崎の西坂での殉教者

第4回長崎歴史文化観光検定1級問題
 2008年11月24日、長崎において福者と宣言された188殉教者のうち、長崎の西坂での殉教者は何人か?

長崎教区
長崎西坂の丘での殉教者(4人)

ミカエル薬屋     1633.7.28(殉教)     長崎ミゼルコルディア組会長
ニコラオ福永ケイアン 1633.7.31(殉教) 63歳  近江イエズス会修道士
ジュリアン中浦    1633.10.21(殉教) 64歳  中浦イエズス会司祭
トマス金鍔次兵衛   1637.11.06(殉教) 37歳  大村聖アウグスチノ修道会司祭
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2009年02月06日

日本二六聖人の横顔

第4回長崎歴史文化観光検定1級問題
 長崎の西坂で殉教した日本二六聖人のうち外国人は何人か?

日本二六聖人の横顔
 1597年2月5日(慶長元年12月19日)長崎の西坂の丘で殉教
日本人20人
聖フランシスコ吉 ・ 聖コスメ竹屋 ・ 聖ペトロ助四郎 ・ 聖ミカエル小崎  
聖ディエゴ喜斎 ・ 聖パウロ三木 ・ 聖パウロ茨木 ・ 五島の聖ヨハネ草庵(19 歳殉教) ・ 聖ルドビコ茨木(12 歳殉教最年少者) ・ 長崎の聖アントニオ(13 歳殉教) ・  聖マチアス ・ 聖レオン烏丸 ・ 聖ボナベントゥラ ・ 聖トマス小崎(14 歳殉教) ・  聖ヨアキム榊原 ・ 医師の聖フランシスコ ・ 聖トマス談義者 ・ 聖ヨハネ絹屋 ・  聖ガブリエル ・ 聖パウロ鈴木

外国人6人
聖ペトロ・バプチスタ  聖マルチノ・デ・ラ・アセンシオン
聖フィリッポ・デ・ヘスス  聖ゴンザロ・ガルシア   
聖フランシスコ・ブランコ   聖フランシスコ・デ・サン・ミゲル
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2009年02月05日

東明山・興福寺の氷裂式組子の丸窓

第4回1級長崎歴史文化観光検定問題
 興福寺の大雄宝殿の丸窓に使われている、木を組み付ける技術とは何か?

東明山・興福寺の氷裂式組子(ひょうれつしきくみこ)の丸窓
東明山・興福寺の氷裂式組子の丸窓
 本堂「大雄宝殿」の「氷裂式組子の丸窓」は中国工匠による巧緻な彫刻で、氷を砕いたような文様が珍しい木組みの窓。
ノコ、ノミ、カンナを使い釘は一切使わず精巧に木を組み付け作られている。
 1945年長崎原爆投下前は、美しい色ガラスがはめ込まれていてステンドグラスのようであったという。

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2009年02月01日

出島くずねり

出島くずねり
 長崎出島オランダ商館内にはオランダ本国からきていた料理人もいたが、長崎奉行所派遣の「出島くずねり」とよばれる阿蘭陀台所(料理部屋)へ毎日詰め役の3人の日本料理人もいた。
 この3人の料理人のうち出島オランダ商館長(カピタン)が将軍拝謁のため江戸参府するときには、二人の料理人が同行している。 1776年(安永5)4月商館長(アレント・ウィレム・フェイト)に従って江戸参府を果たし徳川家治に謁見した出島の医師ツンベルク(ツュンベリー)の「日本紀行」の中に、日本人料理人のことを「二人の料理人は旅行中、常に一人は本隊より一足先に出発し、オランダ人が宿についた時には、すぐに食事がとれるように準備し、オランダ風の料理を上手につくることができていた」と記している。 この出島で料理をつくっていた彼等を通じて、明治以降日本の西洋料理発展の源流となっていった。
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2009年01月31日

本木正栄・阿蘭陀通詞

本木正栄・阿蘭陀通詞(1767〜1822)
 ロシヤ使節レザノフの来航(1804年)や英艦が長崎に不法侵入、薪水食糧を奪い去り、時の長崎奉行松平図書頭康英が責任を取って切腹して果てるというフェートン号事件(1808年)など対外問題が相次ぎ、驚いた江戸幕府は翌年長崎通詞たちにフランス語・ロシヤ語さらに英語の学習をオランダ通詞に命じた。
幕府の命によって本木良永の子、当時43歳の正栄が中心となり仲間の通詞5人たちと共に英語の研究を始め、彼はフランス語を商館長のヘンドリック・ドゥーフに、英語を商館員のブロンホフに学び修得。1811年(文化 8)日本最初の英語学書「諳厄利亜(アンゲリア)興学小筌」、1814年(文化11)英和辞書「諳厄利亜語林大成(あんげりあごりんたいせい)」、また最初のフランス語学書「払郎察(フランス)辞範(じはん)」などを編纂。
※ 参考
ヘンドリック・ドゥーフ
 1799年に来日し、1803年には出島商館長に就任。1817年帰国
ヤン・コック・ブロンホフ
 1809年、荷倉役として出島に着任したブロンホフは、1813年まで商館長ドゥーフのもとで勤務。1817年出島商館長として再来日。1823年帰国

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2009年01月30日

ド・ロ神父

ド・ロ神父(1840年〜1914年)、フランス西部のバイユ市生まれ。
 ド・ロ神父は宣教師としてだけではなく、石版印刷の技術を伝えるためにプチジャン神父と共に1868年6月20日、28才で来日。
ド・ロ神父は、来日直後からその多才な能力を買われて、横浜サンモール会のシスターの住宅や長崎・大浦の羅典神学校の設計、施工監督、石版印刷技術による日本語版祈祷書、日課、こよみ、宗教書などの印刷。それと貧困に苦しむ人達のための社会福祉活動に尽力した。1914年、大浦天主堂にて逝去。
 【石版「キリシタン暦」】(市指定有形文化財)
石版印刷によるもので、1868 年(慶応4)に印刷された暦です。「天主降世千八百六十八年歳次戊辰瞻礼記」と「写本教会ごよみ」の2点が指定されている。暦は信徒の日常の信仰において必要なものでした。
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2009年01月29日

出島三学者

出島三学者
カール・ツンベルク(ツュンベリー)(1743年〜1828年)
 スウェーデンの植物学者、医学者。日本植物学の基礎をつくる。1775年(安永4)から1776年(安永5)までオランダ商館医師として出島に赴任。在日中に採集した植物800余種の標本は今もウプサラ大学に保存されている。著書に「日本紀行」、「日本植物誌」、「ヨーロッパ、アフリカ、アジア紀行」、「喜望峰植物誌」がある。

エンゲルベルト・ケンペル(1651年〜1716年)
 ドイツ北部レムゴー出身の医師、博物学、哲学者。
1690年(元禄3)から1692年(元禄5)までオランダ商館の医師として、約2年間出島に滞在。
 滞日中、阿蘭陀通訳今村源右衛門の協力を得て精力的に日本の歴史、宗教、政治、風俗、貿易の資料を収集し、「日本誌」を著述。
 著書の中で、日本には、聖職的皇帝(天皇)と世俗的皇帝(将軍)の「二人の支配者」がいるとヨーロッパに鎖国中の日本を初めて紹介した。

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796年〜1866年)
 ドイツ人医師・博物学者。1823年(文政6)から1829年(文政12)までオランダ商館の医師として出島に滞在。翌1824年(文政7)には鳴滝塾を開いて日本人に医学・博物学の指導を行う。一方で、日本についての資料の収集に努めた。1828年(文政11)シーボルト事件を起こし、翌年国外追放。1859年(安政6)オランダ商事会社顧問として再来日。江戸幕府の外交顧問としても働いた。1862年(文久2)帰国。著書に「日本」「日本植物誌」「日本動物誌」がある。著書「日本」は、ペリーの来航にも影響を与えた。
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2009年01月27日

地球上の核弾頭データ

 26日に第4回長崎歴史文化観光検定があったが2級検定問題・問100に核不拡散条約の条文の中では、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国を核保有国としているが、現在、世界全体の核兵器総数は約何発といわれている?について。
上記、問いの最近の情報
地球上の核弾頭データ
 どの核兵器保有国も、自国の核弾頭数を公表していない。以下のデータは、非政府組織NGOが、公的情報や議会証言、インタビュー記事などを継続的に収集、分析することによって得られたものである。地球上には今なお約21,000発に及ぶ核弾頭がある。

参考:地球上の核弾頭データ2008年8月 第310・11号核兵器・核実験モニター(NPO法人ピースデポ発行)

アメリカ 5,535発  ロシア 14,000発  英国 200発
フランス 350発  中国 240発  インド 50〜60発 
パキスタン 60発  イスラエル 100〜300発  北朝鮮 ?
地球上の核弾頭データ
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2008年02月03日

新地建立禁止令

※第3回長崎検定1級出題

新地建立禁止令
 1631年(寛永8)、幕府は道場の寺院化と新寺建立の禁止「新地建立禁止令」を発し、1688年(元禄元)には「寺院古跡新地之定書」により古跡寺院新地寺院の格付けを行った。再度の建立禁止令を発して寺院の流動を止めた。
 これは1631年(寛永8)の新地建立禁止令を境として、以前に建立された寺院を古跡寺院、以降に建立された寺院を新地寺院といい、古跡寺院が災禍によって損壊または焼失した場合はその再興は認めるが、新地寺院の場合は一切認めないというのもで、廃寺とか潰寺となった場合もその再興は認められません。
posted by 太鼓山 at 09:17| 長崎 ☔| 長崎検定復習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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