2014年08月24日

中国盆:補施(ぶおぜ)

中国盆:補施(ぶおぜ)中国盆5日目の行事
 中国盆会は一応、三日間で終わりますが、その翌日の4日目は信士(信者の位)を寺に招いて供え物をご馳走します。
 5日目、「補施」を行います。「補施」は体が不自由で3日間の「中国盆」に間に合わず、遅れてきた精霊様に対して行なう法会です。
 いわゆる施餓鬼の営みで、有縁の仏はおろか、無縁の仏にも、また、遅れてきた仏にも配慮の行き届いたところが特色で、すべての仏を大切に思う気持ちから行われています。
 山門から本堂まで足元に竹線香を並べ、体が不自由な仏が迷わずに到着するように道標の気配りをします。
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2014年08月23日

中国盆会:七爺八爺(ちーやぱーや)

中国盆会:七爺八爺(ちーやぱーや)
七爺八爺

 崇福寺第一門(竜宮門)をくぐり第二門「国宝・第一峰門(海天門)」のところに、中国盆の日にノッポとチビの人形が飾られてあります。城隍爺の部下で、背が高く長顔でベロンと出た長い舌が特徴の白衣の人形は七爺(謝将軍・謝必安)と呼ばれ、背が低く黒い丸顔は范将軍(范無救)といって八爺と呼ばれています。この二人は人間の魂を冥土(城隍爺)につれて行く役目の神であるといわれています。
 この説の出所は毎年旧暦5月13日に中国の南の地方で行なわれる「城隍廟」の祭りに、高爺と矮爺が町に出てきますが、これが七爺八爺の顔、姿そっくりであり、名前も范と謝です。
 他説に、ノッポの七爺とチビの八爺は、生前大の仲良しであった。ある時、2人は橋の下で待ち合わせをしました。しかし、その日は雨で、八爺は雨の中で待つが七爺はなかなかやってきません。そのうち大雨が降りだし水かさも増すが八爺は友への忠誠心のため動こうとせず、氾濫した川にのまれ溺死してしまいます。それをあとで知った七爺は、大変悲しみ首を吊って死んでしまいます。
 2人は死後、城隍爺に召喚され部下として2人仲良任務にあたっているのだという華南地方の伝説があります。

七爺:ベロンと出た長い舌が特徴。首吊りをしたので舌が出ているのだとか。神様軍団の中でもひときわノッポ。
八爺:巨大な神様軍団の中で一際小さくて黒いのが八爺。
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2014年08月22日

中国盆会:崇福寺

中国盆会:崇福寺(鍛冶屋町)
精霊さまの遊び場所
精霊さまの遊び場所
 中国盆のとき崇福寺の境内に入ると、「大雄宝殿」の前にパノラマの「冥宅・めいたく」という小さな建物が並んでいて、娯楽室、沐浴室(精霊さまが風呂浴びする場所)女室(女の精霊が休息する場所、男は娯楽室で休む)、舞踊場(精霊さまたちが芝居や踊りをして楽しむ場所)などがあり、精進料理が供えられ絶えず香煙がたちのぼっています。
 それと、精霊さまがショッピングされる街も本堂脇にパネルに描いた36軒堂の店(肉屋、魚屋、帽子屋、時計屋、薬屋、床屋等)が造られてあります。これは冥土のショッピング街で、精霊さまは思い思いに店を訪れて品物を買い楽しむことが出来るようになっています。中には棺(ひつぎ)を売る店もありして、精霊さまには必要でないものまであるようです。
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2014年08月18日

「産女(うぐめ)の幽霊」ご開帳

「産女(うぐめ)の幽霊」ご開帳
 長崎市伊良林1丁目の光源寺で8月16日、江戸時代から語り継がれる「産女の幽霊」像が開帳され、多くの親子連れや学童クラブの児童らがお寺を訪れ参拝していました。
 時々光る不気味な目、痩せこけた頬に大きな口。年に一度だけしか見ることができない「産女の幽霊像」。
 「産女の幽霊」は寺の墓地に埋葬された妊婦が墓の中で出産し、幽霊になってでも赤ん坊を育てようと、三途の川を渡るための6文を使い、母乳がわりに飴を買い与え赤ちゃんを育てたという。別に「飴屋の幽霊」とも呼ばれています。
 参拝すると子を思う母の一念が願い安産となり、また、寺で配られるあめを食べると母乳がよく出るといわています。
産女の幽霊像
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2014年08月16日

長崎の盆

長崎の盆
精進落ち(しょうじんおち)のご馳走
 長崎の市民は鶏肉を冬瓜(トウガン)ときくらげをいっしょに煮て食べるのが習わしでした。鶏肉がない時は豚肉、海老などを代用していました。この料理が精進落といわれていました。
 中国風俗の感化で精進落としというよりむしろ浄土に旅たった方への無事を祈る「あとにぎやかし」というべきであるとする説もあります。
 初盆の家では17日に精進落ちをするのが習わしです。しかし、今日では他と同じく16日にすましてしまうようです。
冬瓜と鶏肉の吸い物の作り方「材料4人分」
冬 瓜  200g(種を取り除き、皮をむいて1cm角のサイコロ状に)
鶏 肉  100g(1cm角に切る)
きくらげ 2g(水で戻しておく、石づきを取り1cm角に切る)
水    カップ3
調味料 塩小さじ3/5、薄口醤油小さじ1、酒大さじ1、こしょう少々
小ネギ 4本(小口切り)
「作り方」
1.水から冬瓜、鶏肉、きくらげを入れ、煮立ったらアクを取り除く。
2.冬瓜が柔らかくなったら調味料を加え、小ネギを添える。

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2014年08月15日

長崎の盆(精霊船)

長崎の盆(精霊船)
爆竹の由来
 ドラと爆竹を鳴り響かせ、ハデなお祭り騒ぎのような長崎精霊流しですが、爆竹は故人を思う気持ちの現れだというが?
 由来は諸説ありますが、中国の「彩舟流し」の影響が色濃くでているものといわれています。また、精霊船の流し場までの道中で鳴らされる爆竹は、中国が起源で「魔よけ」の意味があり、精霊船が通る道を清める為ともいわれます。
 近年ではその意味は薄れ、中国で問題になっている春節の爆竹と同様に、「とにかく派手に鳴らせばよい」という傾向が強まっているようです。

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精霊船流しの掛声
ちゃんこんちゃんこん どーいどい
 精霊船を流す時の道中の掛声は地蔵祭りの鉦の打ち方に習って、鉦を打ち、南無阿弥陀仏の六字の名号を大声で唱えた。しかし、これが訛ったり詰ったりして、しかも大声で叫ぶのに都合のよいように、ナムアミダブツからナンマイダー、ナンマイダーがナンブアイダー、もっと詰って、ナーイダイ、しまいには終わりのほうだけ生かして、ダーイダーイ、これが訛りに訛って、ドーイドーイにまで転訛しといわれています。
 日蓮宗は、うちわ太鼓をたたいて、南無妙法蓮華経の七字の題目を唱えることもありました。今日では宗派を越えてドーイドーイになってしまった。チャンコンチャンコンは銅鑼や鉦の音を子供が遊びでまねていうのであって、いわば、精霊流しの音感的表現です。
 昔は、銅鑼、太鼓、三味線、胡弓(こきゅう)、月琴、笛、ラッパ、チャルメラ、四ッ竹(沖縄の楽器)、摺り合わせ銅鑼などで囃し立てたこともあったといわれています。
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2014年08月14日

長崎の盆(精霊船の由来)

長崎の盆(精霊船の由来)
 精霊流しの起源には諸説があり、今日でも、まだ定説はありません。代表的なのは、中国の「彩舟流し(さいしゅうながし)」という風習が伝わったものだと言われています。
 この「彩舟流し」は中国との貿易が盛んな頃、航海中また長崎に来て滞在中に亡くなった唐人の諸精霊を故郷の中国へ送る行事であったといわれています。「彩舟流し」には簡単な「小流し」と大規模な「大流し」の二つがあり、「小流し」は年毎、あるいは2〜3年毎にまとめて行なわれ、「大流し」は、20〜30年に1回行なわれていました。
 「小流し」は約3〜4m程の模型唐船(彩舟と呼ぶ)を作り、食物やその年に亡くなった人数の人形を乗せ、唐寺の僧侶により「御経」があげられて諸精霊を供養した後、海岸にだして焼いき、合わせて航海安全の祈願をしていました。
 「大流し」は長崎滞在中に亡くなった唐人が数年から十数年過ぎて100人を超え唐船1隻に乗り込む役割や身分が揃うと、実物大の唐船を作り、色んな役割や身分に似せた人形と、食べ物、積荷を乗せ、三唐寺の唐僧により読経が行なわれ後、港の中を回航して港口の浜(神崎鼻先の白洞)で船を焼き、諸精霊を故郷の中国へ送ります。この「彩舟流し」が今日の精霊流しにつながっていると考えられています。
 他説には、享保(1716〜1736)年間の頃、長崎聖堂(中島聖堂)の学頭でもあり、のち幕府の天文方(てんもんかた) という役職についた、儒者で唐通事・廬草拙(ろそうせつ・西山神社を建てた人物)が、市民が精霊物を菰(コモ)包み川に流している姿を見て、これではあまりにも霊に対して失礼だというので、藁で小舟を作り精霊物を乗せて流したという記録があります。
 他に、長崎市史の風俗編には、「弘誓(ぐぜい)の船」より思いついたものであろうという古賀十二郎の推察説があります。
弘誓とは、仏・菩薩が人々を苦から救って彼岸に送るのを、船が人を渡すのにたとえた語。
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2014年08月13日

長崎お盆でのお供えの特徴

長崎お盆でのお供えの特徴
14日のお供え物 14日の朝は、先ず仏壇にお供えした茄子(ナス)の状態を調べていた。茄子の表面におびただしい爪の痕らしきものがついていたら精霊さまが帰って来ている証拠といわれていた。この風習は昭和の初期まで残っていました。
 この日のお供え物としては、ゴマ豆腐、焼き麩の汁椀、インゲン豆に百合根、蒸しナスビの胡麻醤油そえ、サトイモの和えもの、豆腐の煮しめ。野菜はすべてその年の初物をつかいます。昼過ぎには牡丹餅(おはぎ)を供えします。
刺し鯖(さしさば)(江戸時代)
 「刺し鯖」とは背開きにした鯖を塩漬けにしもので、一尾の頭をもう一尾のエラの間に刺し二枚を重ねたものです。盆の14日、長崎奉行所で出るご馳走の中に柿の葉がしかれた「刺し鯖」があったといわれています。
15日のお供え物
 湯素麺、午後は、ささげご飯とさつまいもの蒸したのをお供えします。それに心太(ところてん)を仏様の鏡として丸い鏡の形(四角の形に切られる所もある)にこしらえた鏡心太(かがみところてん)を供えます。精霊さまは、この心太を鏡代わりに顔をなおし、姿かたちを整え西方浄土へ帰り支度をされるといわれています。

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2014年08月12日

長崎お盆でのお供えの特徴 長崎お盆でのお供えの特徴

長崎お盆でのお供えの特徴
 特徴的なのは「迎え団子(白玉団子)・むかえだご」で、燈籠と同じ意味合いで“だんご”をお供えしてご先祖様を迎えます。味付けは各家で違います。この迎え団子は指3本くらいでつまんだような形に作られ、鼻の形に似ていることから鼻団子ともいいます。
 迎え団子には「黒砂糖」と「きな粉」を混ぜたものをかけてお供えし、家族もそれをいただきながらご先祖様を迎えます。この迎え団子は、13日の夜のお供えの中ではなくてはならない物です。このときのお供えには、もやしの芥子あえを添え、麻殻(あさがら・エゴノキ科の落葉高木)で作った精霊箸をつけておきます。
 15日の御霊の帰りには、「小豆あん」を白玉団子にかけた「送り団子」が作られます。
 また、盆菓子と呼ばれる飾り菓子(細工菓子)も他県では見られない長崎の独特のお菓子です。盆菓子は仏教の世界に由来するものが集められていて、蓮の花、スイカ、ホオズキ、フキなどの飾り菓子が作られます。蓮の花は傘、スイカは水分、ホオズキは提灯、フキは杖と、それぞれに意味があるようです。お盆の13日から15日まで仏壇にお供えされますが、初盆の家では15日に「精霊流し」をするさい「むかえだご」と一緒に流します。
 また、仏事、祝い事共に他県では落雁(らくがん)が主流ですが、長崎にはうるち米を煎って粉にしたものに砂糖をふんだんに加え型打ちした「口砂香(こうさこ)」という打ち物もあります。落雁はもち米を使用しているため硬いが、口砂香はサクッとした口当たりが特徴です。寛永年間に町宿の唐人が長崎の人に伝えたものと言われています。
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2014年08月11日

長崎の盆祭り

長崎の盆祭り
精霊棚と呼ばれる出仏壇
 8月13日(旧暦7月13日)、家々では座敷に壇を設け、その上に精霊菰 (しょうろうごも)という萱(かや)で編んだ菰を敷き、仏間の位牌をすべて移して先祖代々、順々にならべる。これを精霊棚または出仏壇といいます。
 今日では家の間取りの都合などもあり、出仏壇は殆ど見られなくなったが、仏間の仏壇に菰を敷いてお供えをすることは行われています。
 15日の夜は、この精霊菰にお供え物を包みこみ菰の先端に線香を添えて、海岸(長崎では大波止)まで持って行き海へ流す。あるいは近くの川へ流しました。これが精霊流しの原形であるとも言われている。
 精霊菰が藁船(わらぶね)や普通の精霊船、催合船(もやいぶね・町内会でこしらえた船)、その他いろいろの形に変わり大きくなっていきます。現代でも派手な大きい精霊船が行く中で精霊菰包みを抱え静かに淋しく先祖の御霊を送っている姿を見るとしんみりとします。最近では精霊菰包みを町内の催合船に便乗させてもらうことが多くなっています。
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