2008年04月01日

阿蘭陀通詞・加福吉左衛門

阿蘭陀通詞・加福吉左衛門
 加福家の始祖である吉左衛門は1664年(寛文4)に小通詞となり、1668年(寛文8)には大通詞となった。吉左衛門はポルトガル語に巧みで、ポルトガル人が国外退去になる以前はポルトガル語の通訳として勤めていた人物。加福家は吉左衛門を含め、明治維新に至るまで9代にわたって阿蘭陀通詞を勤めている。
 だが、加福吉左衛門は予期せぬ事件によって命を落した。1689年(元禄2)、吉左衛門はオランダ商館長・コルネリス・ファン・アウトホールンの江戸参府に同行。長崎を出発し日見、矢上、永昌(諫早)宿、彼杵宿、嬉野宿、佐賀宿、神埼宿などを経て、付近で最大級の宿場である田代宿(現在の佐賀県鳥栖市)に到着。一行は長崎街道最大の難所である冷水峠(福岡県飯塚市・筑紫野市間)越えを明日にひかえていたため、早々に床についたのだが、亥の刻(22時頃)に吉左衛門は検使・豊田五左衛門と口論となり、斬りつけられ殺害された。止めに入った下役水野与右衛門も手傷を負ってしまう。豊田五左衛門本人は切腹。一行は大混乱に陥り長崎に戻り、後に検使・下役・阿蘭陀通詞など人員をすべて入れ替え新しい陣容で江戸参府に再出発した。
 加福吉左衛門は8度目の江戸参府中の出来事で、72歳で没した。
ラベル:阿蘭陀通詞
posted by 太鼓山 at 09:58| 長崎 ☀| 郷土歴史人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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