2008年02月02日

唐人屋敷と薬草園跡

薬草園跡(旧長崎村十善寺郷字館内)
 長崎氏がこの地を領有していた頃、十禅師八王子を祀っていた十禪寺(現館内町・年代不明)があったが、1587年(天15)、長崎甚左衛門が長崎を退去後、寺はキリシタンによって焼却された。此処に会堂が建てられ、会堂には薬草園が設けられた。しかし1614年(慶長19)のキリシタン禁教令によって会堂は破却され姿を消した。1616年(元和2)、耶蘇会(イエズス会)で作っていた十善寺の薬草園の跡地は長崎代官の末次平蔵によって管理するようになり、オランダ船や唐船から持ち込まれた薬草木を栽培する施設となる。しかし、末次家は密貿易による不祥事で滅亡し、1676年(延宝4)、末次氏4代目没落後は町年寄たちが支配していたが、1680年(延宝8)から幕府経営の本格的薬草園と変わる(8,766坪)。そして此の地での薬草園は1688年(元禄元)の唐人屋敷建設まで続き、この後、立山奉行所内に移植された〔1688年(元禄元)〜1720年(享保5)〕。1720年(享保5)、天満宮祠の跡地と天神山(現在の活水大の裏山手)にあった小島郷の天草代官所空き地を開墾し移転します〔十善寺郷十人町(面積1,180坪)〕。最終的には1810年(文化7)西山郷に移され〔西山郷松の森神社裏手(面積1,218坪)〕、1870年(明治3)まで続いた。
 当時、長崎薬草園において栽培したものを日本各地の薬草園に移植する。
posted by 太鼓山 at 10:14| 長崎 | 中国(唐)文化と長崎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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