2007年12月04日

長崎奉行と地役人4

長崎奉行4
 長崎奉行の直属の役人としては、1665年(寛永5)以降、与力が5人から10人に、同心が20人から30人体制になる。一年交代で、江戸と長崎の間を往復した。また、その家臣については、それぞれの石高等によって相違があった。
 1687年(貞享4)、長崎奉行の与力、同心制度が廃止。町年寄制度が充分に整備されたため奉行抱えの給人10人、下役30人に変わる。
 1842年(天保13)、奉行所の機能の充実が必要となり、再び与力、同心が置かれる。与力10人、同心15人となる。
 長崎奉行所は最初、1592年(文禄元)、本博多町(現・万才町NTT長崎付近)に設けられたが、1663年(寛文3)、寛文の大火(66町の内57町全焼)で焼失したため、外浦町(現・江戸町長崎県庁)に東役所・西役所が設置された。1671年(寛文11)に東役所が立山(現・長崎歴史文化博物館在地)に移され、1673年(延宝元)立山役所と改称された。旧役所は西役所となる。以後、立山役所総坪数3,278坪と西役所総坪数1,679坪は明治維新に廃止されるまで、長崎奉行所とされた。
posted by 太鼓山 at 08:57| 長崎 ☀| 長崎奉行と地役人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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