2007年12月03日

長崎奉行と地役人3

長崎奉行3
 1686年(貞享3)には3人制(1人は在府、2人は在勤)、1699年(元禄12)には4人制(2人は在府、2人は在勤)となったが、1714年(正徳4)以降は、目付けが設けられたこともあって、再び2人制となった。また、1746年(延享3)から貿易監察のため、一時、勘定奉行が兼任した。
 長崎奉行の役高・役料は、時代によって異なるが、1767年(明和4)以降は役高1000石、役料4402俵であった。しかし、オランダ船や中国船から脇荷を安価で購入する権利を与えられたほか、オランダ人・中国人や地役人からの八朔銀などの献上もあり、その収入は他の遠国奉行のなかでも優遇されていて、短期の任務でも莫大な蓄財が容易であった。また、長崎奉行は、長崎警備においては、福岡・佐賀の二藩を監督する立場であったので、俗に10万石の大名の格式といわれた。その叙爵は、1699年(元禄12)以降例となり、従五位下何々守と称したが、江戸城中においては「諸太夫席・芙蓉間詰め」の格式であった。
posted by 太鼓山 at 08:41| 長崎 | 長崎奉行と地役人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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