2007年11月24日

わが国初の洋式工場

わが国初の洋式工場
長崎製鉄所
 1855年(安政2)、幕府は長崎に「長崎海軍伝習所」(現在:長崎市江戸町)を設立し、わが国初の洋式軍艦による海軍の創設に踏み切った。オランダ海軍中佐のG・ファビウスが指導に当たり、伝習所総督の永井玄蕃頭尚志(ながい げんばのかみ なおのぶ)へ数々の提言を行う。
 海軍を創設するためには戦艦の造修船施設が不可欠であることを知り、1857年(安政4)、永井玄蕃頭尚志は、日本とその周辺諸国の情勢をふまえて幕府に大型船造修所建設の必要性があることを説く。しかし、幕府からの指示がなかったため、永井は「職権専断」を犯してまで建設の決断をした。彼は建設要員の派遣と機械類・資材の手配をオランダ国立機関廠所属の海軍中佐ヘンドリック・ホイエンス(1810-1867)の計画に基づいてオランダに発注し、1857年(安政4)6月に資材が到着、同年8月には建設要員11名を含むオランダ人一行37名がヤパン号(後の咸臨丸)で長崎に到着。
 オランダ海軍機関将校H・ハルデス(1815〜1871)とオランダ人技術者の建設指導のもと、1857年(安政4)10月10日から長崎・浦上村淵字飽の浦(現在の第1工作部付近)の9040坪に建設を始めた、当初はその名称を「徳川幕府・長崎鎔鉄(ようてつ)所」と名付けたが、4年後の1861年(文久元)3月25日、日本初の本格的洋式工場が竣工(第1期工事落成)し「長崎製鐵所」とあらためられた。ただし、これらの施設は船体の修理や建造に必要となるドック(船渠)や修船架などはなかった。
長崎製鐵所
「1860年(万延元)の長崎製鐵所」
posted by 太鼓山 at 08:49| 長崎 | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする