2014年08月19日

「産女の幽霊」像にまつわる民話

長崎市伊良林町の光源寺に残る「産女の幽霊」像にまつわる民話

 昔、長崎の麹屋町に一件の飴屋さんが、ありました。
 今日も、あたりが暗くなってきたので飴屋の主人は、戸締りをしてやすもうかとしていました。
そのときです。トントン トントン・・・・と、表の戸をたたく音がします。
「もうし・・・・こんばんは・・・・すんまへん・・・」京なまりの女の人の声です。
 こんな夜更けにだれやろか???と主人は、寝床から立ち上がり、戸を少し開けてみると、そこには真っ青な顔をし、白い着物を着た若い女の人が立っています。
 「こんな夜更けになんの用ですか!」と主人が尋ねると、「すんまへん、飴を、飴を売っておくれやす」か細い声で言って、一文銭を差し出しました。
 「一文がとね」主人は、飴を紙袋に入れ手渡した時、一寸触れた女の人の手が氷にでもさわったようにヒヤーッとしました。女は、飴を手にするとすっとかき消えました。主人は戸を閉めて“あ〜気味の悪さ、一体どこの女じゃろか?元気のなかおなごじゃ”とつぶやきながら、布団にもぐりこみました。
 ところが翌晩も、またその次の晩も女の人は飴を買いにきたのです。それから、七日目の晩。
 主人は思いあまって、町内の若者たちを集めて相談し、この女の後をつけ、今晩こそどこの誰かをつきとめようと何くわぬ顔して待ちました。やはり今晩も女の人はやってきました。今までと違い、なんともいえないくらいにさびしそうな顔をしています。「すんまへん、今日はお金がなくなってしまいました。どうぞ飴をめぐんでくれはりますか。」
 聞きとれないほど細い寂しい声です。主人は気味の悪さも忘れ、あわれに思い飴を気持ちよく分けてあげました。女の人は喜び、何度もお礼をいいながら真っ暗になった寺町の方へと出て行きました。
 打ち合わせどおりに主人は若者たちと見えかくれし後をつけて行きました。シーンとした人影のない寺町通りをすぎて伊良林へと角をまがり、どんどんと行きます。一体どこへ・・・・・とみなが顔を見合わせながらつけていくと、光源寺の山門をくぐり石段をのぼり、本堂横の暗がりの墓へ。こりゃ、いよいよおかしかばい、ひょっとすると・・・・・・と、首を傾げながら見つめていると、女の人は新仏の墓の中へスウーッと消えるように入っていった。何だか見てはならないものを見てしまったようで、背筋にゾゥーっと寒気が走り、みんなは一目散に逃げ帰りました。
 夜の明けるのもまった飴屋と若者たちは、さっそく伊良林の光源寺に出かけ住職をたずねました。
 一部始終を聞いた住職は、手をあわせ「世の中には不思議なことが多いものじゃ、しかしこの光源寺でそのようなことがあろうとはのう・・・・」と、しばし考えていたが、早速に墓守を呼び、鍬を持ってこさせ、住職は飴屋の主人に墓に案内するよう言い、住職の後には若者たちと墓守が神妙な顔で従います。
 その墓は、新しく土盛がされていて、その手前には燃え尽きた蝋燭と線香の灰が葬られたときのそのままでした。
住職の読経がすみ、みんなが念仏を唱えるなかを、墓守が新仏の墓に鍬をいれました。すると・・・、なんと生まれてまもない元気そうな赤ちゃんが母親のお腹の脇に丸くなり、飴をしゃぶっているではありませんか。びっくりした一同は、拾い上げた赤ちゃんを袢纏に包み、急いでお寺へつれていきました。
 この女は葬られた時に入れてもらった、冥土への6文銭を一文ずつ使って、毎日のように赤ん坊に飴を買い与えていたのです。
住職は新仏の墓の持ち主を調べたところ、それは筑後柳川(現:福岡県柳川市)出身で地元では、左甚五郎とまで呼ばれた長崎在住の藤原清永という宮大工ということが分かった。
 さっそく住職は、墓を建てた清永のもとに墓守を走らせ事と次第を伝えさせた。
 そして住職の計らいで、赤ちゃんは父親である清永のもとで育てられることになり、飴屋の主人や町内の若者たちは、「ほんとうによかったのう、よか功徳になったばい。今夜からはゆっくり寝るばい」と、喜びました。
 さて、この赤ちゃんの父親、藤原清永とこの若い母親とはどういう関係だったのでしょうか?
 延享時代(1744年〜1747年)、清永が仏像の彫刻修行で京都に滞在している頃、泊まっていた宿の女の人と恋仲になっていたのですが、長崎の親元から急いで戻るようにと矢のような催促です。清永はいたしかたなく「必ず迎えに戻ってくるから・・・」と、恋人に固い約束をして後ろ髪をひかれる思いで、京を発ったのです。
 清永が長崎に戻ると、そこには親が決めた嫁になる人が待っていました。気の弱い清永は京都にいる恋人のことを口に出せないまま、とうとう親からいわれるままにその女の人と結婚してしまいます。
 一方、京都の恋人は藤原清永の言葉を信じ、迎えを今日か明日かと指折りかぞえて心待ちにしていましたが、待ちきれず、恋人は清永の子を身ごもった身体で長崎まで清永を訪ねて一人旅をすることになりました。
 長い道のりと一人旅の心細さを踏み越えてやっと清永がいる長崎についてみると、恋い慕ったあの清永が、他の女の人と結婚していることを聞き絶望の渕に突き落とされ、はりつめていた心もくずれおちてしまいました。あまりの悲しさ、くやしさに加えて、長旅の疲れがどっと出て、とうとう病の床につくと同時に、一人寂しく死んでしまいました。
 自分を追って長崎に来た恋人の死を伝え聞いた清永は、以前宮大工の仕事をした縁のある光源寺の本堂の裏手に手厚く葬ったのです。
 でも、その赤ちゃんはお墓の中で生まれて立派に育っていたのです。死んでも死にきれなかったこの母親は、棺に入れられていた冥土への一文銭六枚を毎晩、一枚ずつ手にもち、乳が出ないお乳のかわりに飴を買いに通っていたのです。お母さんの子を思う心の素晴らしさに感動せずにはおられないではありませんか!!
 それから、幾日か経った夜更けにまた、あの女の人の幽霊が飴屋に姿を見せました。
 主人が眠りに付こうとしている時です。トントン、トントン・・・・と戸をたたく音「もうし、すんまへん」「もうし・・・・」と、聞き取れないほどのか細い声です。
 主人は心臓が止まるくらいびっくりしました。また、あの女の声です。引き寄せられるように表の戸をソロリソロリと開けてみると、やっぱりそうです同じ白い着物を着たあの女の人です。でも、今までと違って、嬉しそうで優しい顔でした。
 「あんたはんのおかげで、子どもは父親の元で育ててもらえるようになりました。今夜はご恩返しをしたい気持ちがいっぱいで、やってまいりました。お礼に何ぞ差しあげとうおすが、困っていることがありましたら、遠慮せずおっしゃっておくれやす」というのです。
 飴屋の主人はしばらく考え「うーん、このところ長崎は雨が降らんけん水がいっちょんなかとたい、みんな困っとっとですたい。でくるじゃろうか?」
「はぁー。そないに困っとるのどすか・・・。それじゃー、明日朝早ゆーちに、うちの赤い櫛が落ちている所を掘ってみておくれやす。きっときれいな水が湧き出しますよ。ほな、ほなさいなら、ほんに、おおきに・・・・。」
 腰をかがめお礼を言うとスウーと、消えて行きました。主人は怖ろしさでヘタヘタと座り込んでしまいました。
 主人は一睡もできませんでした。それでも、翌朝、町内付近をあちこちと櫛を見つけて回りました。あったっ! ありました。寺町から麹屋町に通じる坂道を下りたすぐそばに、赤い女物の櫛が落ちていました。おそるおそる櫛を拾い上げ、大事に懐にしまい、みんなとそこを掘りはじめました。鍬を一振り、二振り、・・・・十振りもしないうちに、チャポッと水音がして、こんこんときれいな冷たい水が湧き出してくるではありませんか。みんなは飛び上がって喜びました。
「ワァーッ!水が出たぞー、町に水が出たぞう!!」付近の人は朝早くから何の騒動か、目をこすりながら水の周りに集まってきました。飴屋の主人が身振り手振りで「実はかくかく、しかじか・・・」と一気に説明をしました。町内の人たちは、もう水で苦労をすることがなくなったのです。「よかった、よかった。」と女の人に感謝しました。
 その後、町内の人たちの協力で立派な井戸が作られました。その井戸はどんな干ばつの年でも水は渇れることなく、何時も地面すれすれまできれいな水をたたえ町内の人々をはじめ遠くの人々の喉を潤おしました。
 その後、この井戸を人々は『麹屋町の幽霊井戸』と呼ばれるようになりました。この井戸は町の賑わいとともに埋められ、今、麹屋町の道路脇に、ひっそりとその跡を残しております。

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posted by 太鼓山 at 08:41| 長崎 ☁ | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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