2013年05月05日

唐通事 何仁右衛門【何兆晋(がちょうしん)】

唐通事 何仁右衛門【何兆晋(がちょうしん)】
 文化人として名高い唐通事といえば、万治元年(1658)、唐小通事四人のうちの一人、何仁右衛門(がにえもん/生年不詳(1628-29?) 〜貞享3年(1686))。
 何仁右衛門は、崇福寺大檀那で隠元禅師招致の中心人物のひとりである何高材(がこうざい)の長男で、諱を兆晋(ちょうしん)といった。興福寺の心越(しんえつ)禅師から教わった七弦琴(しちげんきん)の名手でもあり、文化人としても知られる存在。
 兆晋は小通事の職をわずか10年(寛文8年・1668)で退役し、その約10余年後の延宝年間(1673〜1681)に、心越禅師ほか著名人が集う別荘「心田庵(しんでんあん)」を長崎片渕郷に建立したと推定されている。今も先日に紹介した長崎市片渕二丁目に現存する。そこは当時の文化サロン的な場所だったという。
 兆晋は、唐通事を退いた同年、父・高材、弟・兆有とともに清水寺本堂を寄進している。
posted by 太鼓山 at 11:09| 長崎 | TrackBack(0) | 郷土歴史人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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