2009年11月29日

坂本龍馬と長崎関連の場所

坂本龍馬と長崎関連の場所
大浦慶屋敷跡
 大浦慶(1828〜1884)は、油屋町(油屋町2番・橋本ビル)の大浦家に生まれた。大浦家は、油屋町の老舗の油商であったが、慶は若い頃から油に見切りをつけ、茶貿易に着眼していた。嘉永6年(1853)オランダ商館員テキストルに依頼して嬉野茶の見本をイギリス、アメリカ、アラビアに送ったが、これが功を奏し、安政3年(1856)イギリス商人オルトとの1万斤(6トン)の取引となった。以後、日本茶を海外に輸出して莫大な利益を得たという。慶応2年(1866)製茶輸出のピーク。

※ 大浦慶と志士との交遊はあったのか。
 「池道之助日記」慶応2年9月26日によると
「尾浦や学者の後家有りけり。是□□中濱・西川・予三人対面に行ける。実に発明ナル女ナリ、格別美女ニてハナシ。富家ニて手代四・五人使イ、商業盛ニ致しける。四方山ノ咄し致し、馳走ニアイ八ツ比帰る」

 池道之助(いけみちのすけ)は文政4年(1821)幡多郡中ノ浜村(土佐清水市)に生れた。幼少より文武に励み、安政2年(1855)雇足軽となり、のち同郷の中浜万次郎に随従、長崎に赴き、仕置役後藤象二郎の下働き役として精勤。明治元年(1868)帰国、足軽に取立てられ、同時に開成館貨殖局下代として、長崎表商会係を命ぜられた。明治2年(1869)病気で退役。明治4年(1871)郷里近在諸村の村長として治績を挙げたが、翌明治5年(1872)病没。

※ 龍馬との具体的な関係を裏付ける史料はない。
※ 司馬遼太郎の「竜馬がゆく」には、海援隊が慶に借金をした際、陸奥がその担保になったことが描写されているが、根拠は明らかでない。
posted by 太鼓山 at 10:45| 長崎 | TrackBack(0) | 郷土歴史人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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