2009年11月28日

龍馬と長崎関連の場所

坂本龍馬と長崎関連の場所
小曾根家宅跡
 小曾根家は幕末から明治の長崎を代表する豪商で、幕末期、小曾根六左衛門は福井藩(越前藩)松平家御用達を勤めた。安政6年(1859)、大浦に居留地が造成されると、六左衛門と子である栄(乾堂)はその隣接地を造成、その一部は現在でも小曽根町と呼ばれている。栄は書画を得意とした文人で、勝海舟や坂本龍馬や等とも親交があり、特に龍馬が組織した亀山社中を援助した。慶応2年(1866)、海援隊の近藤長次郎(上杉宗二郎)は小曽根邸の一室(梅の間)で切腹。なお近藤長次郎は別名を梅花道人(梅花書屋)と称し、彼の墓石には坂本竜馬によって「梅花書屋氏の墓」と書かれている。墓碑は皓台寺後山(寺町)小曾根家墓地内にある。

※ 龍馬は亀山(現:伊良林地域)の社中よりも、小曾根家宅で活動することが多かった。
※ 坂本龍馬の愛妻お龍は慶応2年(1866)6月から翌年2月までの約8カ月間、長崎の小曽根家宅で乾堂の娘キクから月琴をならい暮らしていた。この時期の龍馬は亀山社中の経営に専念し長崎にいることが多く、2人の結婚生活が3年余りに過ぎないことを思えば、長崎は文字通り2人の「愛の巣」だったといえる。
※ 慶応3年海援隊結成の会議が小曾根家宅で行われ、のち「海援隊」の本拠地となる。
posted by 太鼓山 at 21:12| 長崎 | TrackBack(0) | 史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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