2009年09月09日

帳方屋敷跡

帳方屋敷跡 上野町22-6【如己堂・永井隆記念館】
 250年にわたる徳川幕府の厳しい迫害下において、浦上地方の潜伏キリシタンの組織を指導してきた帳方の屋敷跡。
 延宝天和年間(1673〜1684年)、浦上村中野郷(現在の如己堂のところ)に住んでいた孫右衛門と築岡(現在の岡町)の七郎左衛門はキリシタンの信仰を保持するための組織をつくろうと行動をはじめ、2人は極秘裏に村人たちを説き回り、浦上村にキリシタンの潜伏組織が作られた。組織は、次の3役で構成された。
 長を惣頭(帳方・ちょうかた)といい浦上村に一人おき日繰り(バスチャン暦)や宗教書を所有し、祈りや教義などを伝承する。また、一年中の祝日や教会行事の日を繰り出して、触頭(水方・みずかた)に伝える。触頭(水方)は各郷に1人おき、惣頭(帳方)から伝えられた祝日や祈り、教義を聞役に伝える。また洗礼を授けるのは触頭(水方)の役目とした。そして聞役は各字に1人おき一戸一戸の信者を掌握し、触頭(水方)から伝えられたことを各人に知らせる。こうして惣頭(帳方)、触頭(水方)、聞役という指導系統ができあがった。
 初代惣頭(帳方)には孫右衛門が推された。惣頭(帳方)は選挙によるものであったが、代々孫右衛門の子孫が推薦され、七代目の吉蔵に至った。吉蔵は1859年(安政6)浦上三番崩れといわれる検挙事件で入牢、殉教した。
 その後、間もなく浦上小教区の復活が行われ、吉蔵を最後に、この組織は消滅した。
 現在の如己堂跡はその惣頭(帳方)の屋敷があった場所である。
posted by 太鼓山 at 11:36| 長崎 ☀ | TrackBack(0) | 旧浦上山里村 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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