2009年05月19日

小菅修船場跡

小菅修船場跡
 1884年(明治17)、政府は官営工場の払下げ方針の下に、長崎造船所と小菅修船場を岩崎彌太郎に貸与し、三菱社長崎造船所として運営されていたが(岩崎弥太郎1885年(明治18)逝去、岩崎彌之助社長に就任)、1887年(明治20) 岩崎彌之助が大蔵大臣伯爵松方正義に長崎造船局(官営長崎造船所)の払下げを申請、全面的に払下げが行われ、翌年三菱造船所と改称された。
 これより先に、工部省は1879年(明治12)に飽ノ浦の南側にある立神に船渠(現第1ドック)を完成させ、造船能力を増大させていたが、これを受けた三菱社も以後飽ノ浦〜立神地区への投資を積極的におこなったが、対岸の小菅修船場は立地条件が悪く増強はほとんど行われず、このため、小菅修船場の業務は徐々に先細りとなり、1920年(大正9)には廃止状態になった。昭和に入り、1936年(昭和11)、小菅修船場は史蹟名勝天然記念物保存法により一部が史跡地に指定される。1937年(昭和12)短艇製作工場として復活、その後、戦時中には軍用艦艇、魚雷艇の建造、戦後には漁船の建造や修理に利用されたが、1953年(昭和28)に完全に閉鎖。
 その後、1969年(昭和44)4月国指定重要史跡として再指定される。
posted by 太鼓山 at 11:14| 長崎 | TrackBack(0) | 史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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