2009年05月17日

小菅修船場揚架状況

小菅修船場揚架状況
 維新後明治新政府は、幕府が保有していた長崎製鉄所を管轄下に置くと共に、1869年(明治2)竣工間もない小菅修船場も、管理人となっていたグラバーから洋銀12万ドル(薩摩藩の取り分は土地代8,680ドル、売却益の25%の11,219.5ドル)で買収し、長崎製鉄所の所管とした。1871年(明治4)長崎製鉄所は工部省に移譲され、長崎造船所と改称された。1872年(明治5)には明治天皇が長崎造船所と共に小菅修船場にも行幸された。
 当時の小菅修船場の船舶修理のための揚架隻数は明治2年=30隻(11,973トン) 、同3年=24隻(11,707トン)、同4年=16隻(6,514トン)、同5年=15隻(5,059トン)、同6年=23隻(8,005トン)、同7年=26隻(10,226トン)、同8年=11隻(4,848トン)、同9年=18隻(7,302トン)、同10年=17隻(8,401トン)、同11年=12隻(5,203トン)、同12年=15隻(6,052トン)、同13年=7隻(2,895トン)、同15年=9隻(3,815トン)と続き、同16年の8隻(2,339トン)まで231隻(94,339トン)を数えた。
 また、修理の外木造汽船の向陽丸(70トン)、小菅丸(103トン)、木造曳船(192トン)などの建造も行っておる。
posted by 太鼓山 at 10:35| 長崎 ☔ | TrackBack(0) | 史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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