2009年01月31日

本木正栄・阿蘭陀通詞

本木正栄・阿蘭陀通詞(1767〜1822)
 ロシヤ使節レザノフの来航(1804年)や英艦が長崎に不法侵入、薪水食糧を奪い去り、時の長崎奉行松平図書頭康英が責任を取って切腹して果てるというフェートン号事件(1808年)など対外問題が相次ぎ、驚いた江戸幕府は翌年長崎通詞たちにフランス語・ロシヤ語さらに英語の学習をオランダ通詞に命じた。
幕府の命によって本木良永の子、当時43歳の正栄が中心となり仲間の通詞5人たちと共に英語の研究を始め、彼はフランス語を商館長のヘンドリック・ドゥーフに、英語を商館員のブロンホフに学び修得。1811年(文化 8)日本最初の英語学書「諳厄利亜(アンゲリア)興学小筌」、1814年(文化11)英和辞書「諳厄利亜語林大成(あんげりあごりんたいせい)」、また最初のフランス語学書「払郎察(フランス)辞範(じはん)」などを編纂。
※ 参考
ヘンドリック・ドゥーフ
 1799年に来日し、1803年には出島商館長に就任。1817年帰国
ヤン・コック・ブロンホフ
 1809年、荷倉役として出島に着任したブロンホフは、1813年まで商館長ドゥーフのもとで勤務。1817年出島商館長として再来日。1823年帰国

posted by 太鼓山 at 09:46| 長崎 ☔ | TrackBack(0) | 長崎検定復習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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