正徳2年〜安永2年(1712〜1773)
夏目氏は二柳三郎国忠が奥州藤原氏の四代藤原泰衡追討ち功により、信濃国居伊那郡夏目村の地頭職となる。その子の国平の時に「夏目」の姓を称した。信政は、木村弥七郎恒忠の三男であるが、信利の二代後裔の夏目主殿信氏の養子となり、享保17年(1732)に信氏の遺跡を継ぐ。
幼名を久之丞、通称を籐四郎、諱が信政、従五位下和泉守を称した。
明和2年(1765)佐渡奉行、明和6年に普請奉行、同7年(1770)長崎奉行となった。
安永元年(1772)幕府が抜け荷取締りを強化するなか、
在任中(1770〜73)の安永2年(1773)6月12日に長崎にて62歳で死去。
墓所は日蓮宗・聖林山本蓮寺
(墓碑正面)元享院殿義山信政日貞大居士
(右)安永二歳次癸巳六月十二日
(左)従五位下夏目前和泉守源信政墓


