2008年11月18日

長崎で亡くなった長崎奉行の墓碑5

五十二長崎奉行・松波備前守正房墓碑(まつなみびぜんのかみまさふさ)
天和3年〜延享3年(1683〜1746)
松波備前守正房墓碑 松波氏は日野中納言資宣の後裔が日野法界寺の別当になり、その居所の側に松波木があったことから「松波」を姓とした。
正房は、幼名を平助、通称を平右衛門、諱が正房、従五位下備前守を称した。
 正房は元禄5年(1692)小普請・大番の正成の遺跡を継ぎ、元文2年(1737)勘定吟味役、寛保元年(1741)佐渡奉行、寛保3年(1743)長崎奉行となった。
 在任中(1743〜46)の寛保3年には唐船に定額外銀1,000貫目分まで、俵物貿易を許可した。延享元年(1744)に俵物の一手請方を町人8名に命じた。
 延享3年(1746)3月27日長崎で死去。行年64歳。墓所は正覚山大音寺。
(墓碑正面)宏智院殿英譽正房察彦大居士
(右)従五位下松波備前守藤原正房墓
(左)延享三年丙寅三月二十七日

posted by 太鼓山 at 13:15| 長崎 晴れ | TrackBack(0) | 史跡・墓碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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