2008年11月11日

高島秋帆・18

秋帆没す
 嘉永6年(1853)、品川台場構築にあたり海防掛御用取扱手付となる。
安政2年(1855)に品川砲台を完成させ普請役に任ぜられ、鉄砲方手付教授方頭取にも就任。さらに、安政4年(1857)、富士見御宝蔵番兼講武所砲術師範役を勤め、文久2年(1862)、武具奉行格として後進の指導と武備の充実に貢献。
 晩年、秋帆は孫の茂巽、妻の香、息子の浅五郎に相次いで先立たれ、慶応2年(1866) 正月14日、現職のまま江戸小石川十人町にて69歳で病没。
 「火技中興洋兵開基(1856)」と称えられ、日本の軍事近代化に大きな足跡を残した。
 贈:正四位、法名:皎月院殿碧水秋帆居士
posted by 太鼓山 at 08:23| 長崎 ☁ | TrackBack(0) | 郷土歴史人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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