2008年11月10日

高島秋帆・17

嘉永上書の中身は開国すべし!
 アメリカのペリー再来航を翌年(1854)にひかえ、幕府は諸藩に意見をもとめたが、そのほとんどが異国排斥を唱える攘夷論。この状況下、秋帆は平和開国通商をと、「嘉永上書」を幕府に提出した。
 それは「いま、外国と戦争してはならぬ。阿片戦争で清国が惨敗した原因は、イギリスの強力な火器のためで、精神力だけでは勝てぬ、武芸より大砲が大切である。交易は両国に利潤があり、西洋では国際間の常道である。交易によって利益を得て国防を万全にすべきである。外国(キリシタン)は戦争に来るわけではなく、貿易を望んでいるのだから恐れることはあるまい。有用の銀・銅で支払った通商のおかげで、医術などが進歩し国益が増進した。蘭学を邪道とするのは見当違いである。」といった内容で開国を説き、さらに歴史の実例を数々あげ非戦を力説したものであった。
 江川太郎左衛門も同意見であったが、篤実な江川さえも献策を躊躇した「嘉永上書」。しかし、秋帆の断固たる態度に、身体を共にする覚悟で老中阿部正弘に提出した。
 この「嘉永上書」は、幕府の鎖国攘夷策を崩すのにも大きな影響を与え、安政元(1854)年の日米和親条約に大きな影響を及ぼしたともいわれている。
posted by 太鼓山 at 08:41| 長崎 ☁ | TrackBack(0) | 郷土歴史人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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