2008年08月23日

幕府の命により長崎の教会が破壊さる

幕府の命により長崎の教会が破壊さる
 慶長19年(1614)、徳川家康が「キリシタン禁教令」を発布、まず幕府直轄領の江戸、大坂、京都、長崎で教会を破壊、布教を禁止、伴天連を追放することになる。
 慶長19年(1614)9月〜、幕府上使山口駿河守直友、長崎奉行長谷川左兵衞と3人の僧の協力によって、長崎の教会の大部分が破壊され宣教師は国外に追放される。ザビエル渡来65年で日本のキリシタン諸教会が壊滅的な打撃を受ける。
 当時、キリシタン迫害に抗議して、数千人規模でキリシタン行進が行なわれており、市内警備のため佐賀、唐津、大村、平戸、有馬から兵が出され、小倉の鉄砲組も出動し万一の反対暴動を警戒しての処置がとられていた。
 この時、キリシタンに妨害されながらも命がけで仏教再興に尽力した仏教僧はわずか5人。道智(正覚寺)・慶西(光永寺)・傳譽(大音寺)・泰雲(晧台寺)・慶了(大光寺)であった。
posted by 太鼓山 at 10:41| 長崎 ☔ | TrackBack(0) | 諏訪神社と「長崎くんち」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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