2008年08月22日

正覚寺開基・道智の布教活動

正覚寺開基・道智の布教活動(キリシタン教徒の妨害)
 浄土真宗光寿山・正覚寺(しょうかくじ) 東小島町
 光寿山・正覚寺の開基・僧道智は佐賀の牛島(武雄付近)出身で、文禄3年(1594)、道智は仏教の再興のため長崎の鍛冶屋町付近に拠点を構え布教活動を始めるが、当時、長崎はキリシタンの全盛期で仏教徒への脅迫、投石、さらには井戸に毒薬を混ぜるなどの行為があって道智の布教活動はなかなかうまくいかず危険がおよぶこともあった。慶長9年(1604)9月、市街地における寺院復興の初めとして鍛冶屋町に正覚寺を創建、ようやく布教活動の基礎が出来ると、慶長9年(1604)道智は立山の「山のサンタマリア教会」と翌10年(1605)には舟津村(現 本蓮寺)の「サン・ジョアン・パプチスタ教会」の信徒らと宗論を戦わす。
 この行動がキリシタンへの挑戦でもあり、以降、道智はキリシタンから憎悪をもたれ、慶長12年(1607)にキリシタンのより正覚寺は放火され全焼、一時、伊良林郷(現・浄安寺付近)地の再建。そして次第に仏教再興のために多くの僧が長崎に入りだし、大光寺開基・慶了、光永寺開基・慶西、大音寺開基・傳譽、晧台寺開基・泰雲らが再興にあたった。
 慶長19年(1614)キリシタン禁教令が発布するとキリシタンの勢力も衰え、多年にわたる道智の活躍が実を結ぶことになり幕府から絶大な恩賞を受けた。
 元和4年(1618)正覚寺は新橋町の地へ移転。寛永7年(1630) 本古川町からの出火で類焼。延宝4年(1676) 境内狭溢を理由に現在地である小島郷に移転。
posted by 太鼓山 at 08:45| 長崎 ☀ | TrackBack(0) | 諏訪神社と「長崎くんち」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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