2014年08月16日

長崎の盆

長崎の盆
精進落ち(しょうじんおち)のご馳走
 長崎の市民は鶏肉を冬瓜(トウガン)ときくらげをいっしょに煮て食べるのが習わしでした。鶏肉がない時は豚肉、海老などを代用していました。この料理が精進落といわれていました。
 中国風俗の感化で精進落としというよりむしろ浄土に旅たった方への無事を祈る「あとにぎやかし」というべきであるとする説もあります。
 初盆の家では17日に精進落ちをするのが習わしです。しかし、今日では他と同じく16日にすましてしまうようです。
冬瓜と鶏肉の吸い物の作り方「材料4人分」
冬 瓜  200g(種を取り除き、皮をむいて1cm角のサイコロ状に)
鶏 肉  100g(1cm角に切る)
きくらげ 2g(水で戻しておく、石づきを取り1cm角に切る)
水    カップ3
調味料 塩小さじ3/5、薄口醤油小さじ1、酒大さじ1、こしょう少々
小ネギ 4本(小口切り)
「作り方」
1.水から冬瓜、鶏肉、きくらげを入れ、煮立ったらアクを取り除く。
2.冬瓜が柔らかくなったら調味料を加え、小ネギを添える。

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2014年08月15日

長崎の盆(精霊船)

長崎の盆(精霊船)
爆竹の由来
 ドラと爆竹を鳴り響かせ、ハデなお祭り騒ぎのような長崎精霊流しですが、爆竹は故人を思う気持ちの現れだというが?
 由来は諸説ありますが、中国の「彩舟流し」の影響が色濃くでているものといわれています。また、精霊船の流し場までの道中で鳴らされる爆竹は、中国が起源で「魔よけ」の意味があり、精霊船が通る道を清める為ともいわれます。
 近年ではその意味は薄れ、中国で問題になっている春節の爆竹と同様に、「とにかく派手に鳴らせばよい」という傾向が強まっているようです。

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精霊船流しの掛声
ちゃんこんちゃんこん どーいどい
 精霊船を流す時の道中の掛声は地蔵祭りの鉦の打ち方に習って、鉦を打ち、南無阿弥陀仏の六字の名号を大声で唱えた。しかし、これが訛ったり詰ったりして、しかも大声で叫ぶのに都合のよいように、ナムアミダブツからナンマイダー、ナンマイダーがナンブアイダー、もっと詰って、ナーイダイ、しまいには終わりのほうだけ生かして、ダーイダーイ、これが訛りに訛って、ドーイドーイにまで転訛しといわれています。
 日蓮宗は、うちわ太鼓をたたいて、南無妙法蓮華経の七字の題目を唱えることもありました。今日では宗派を越えてドーイドーイになってしまった。チャンコンチャンコンは銅鑼や鉦の音を子供が遊びでまねていうのであって、いわば、精霊流しの音感的表現です。
 昔は、銅鑼、太鼓、三味線、胡弓(こきゅう)、月琴、笛、ラッパ、チャルメラ、四ッ竹(沖縄の楽器)、摺り合わせ銅鑼などで囃し立てたこともあったといわれています。
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2014年08月14日

長崎の盆(精霊船の由来)

長崎の盆(精霊船の由来)
 精霊流しの起源には諸説があり、今日でも、まだ定説はありません。代表的なのは、中国の「彩舟流し(さいしゅうながし)」という風習が伝わったものだと言われています。
 この「彩舟流し」は中国との貿易が盛んな頃、航海中また長崎に来て滞在中に亡くなった唐人の諸精霊を故郷の中国へ送る行事であったといわれています。「彩舟流し」には簡単な「小流し」と大規模な「大流し」の二つがあり、「小流し」は年毎、あるいは2〜3年毎にまとめて行なわれ、「大流し」は、20〜30年に1回行なわれていました。
 「小流し」は約3〜4m程の模型唐船(彩舟と呼ぶ)を作り、食物やその年に亡くなった人数の人形を乗せ、唐寺の僧侶により「御経」があげられて諸精霊を供養した後、海岸にだして焼いき、合わせて航海安全の祈願をしていました。
 「大流し」は長崎滞在中に亡くなった唐人が数年から十数年過ぎて100人を超え唐船1隻に乗り込む役割や身分が揃うと、実物大の唐船を作り、色んな役割や身分に似せた人形と、食べ物、積荷を乗せ、三唐寺の唐僧により読経が行なわれ後、港の中を回航して港口の浜(神崎鼻先の白洞)で船を焼き、諸精霊を故郷の中国へ送ります。この「彩舟流し」が今日の精霊流しにつながっていると考えられています。
 他説には、享保(1716〜1736)年間の頃、長崎聖堂(中島聖堂)の学頭でもあり、のち幕府の天文方(てんもんかた) という役職についた、儒者で唐通事・廬草拙(ろそうせつ・西山神社を建てた人物)が、市民が精霊物を菰(コモ)包み川に流している姿を見て、これではあまりにも霊に対して失礼だというので、藁で小舟を作り精霊物を乗せて流したという記録があります。
 他に、長崎市史の風俗編には、「弘誓(ぐぜい)の船」より思いついたものであろうという古賀十二郎の推察説があります。
弘誓とは、仏・菩薩が人々を苦から救って彼岸に送るのを、船が人を渡すのにたとえた語。
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2014年08月13日

長崎お盆でのお供えの特徴

長崎お盆でのお供えの特徴
14日のお供え物 14日の朝は、先ず仏壇にお供えした茄子(ナス)の状態を調べていた。茄子の表面におびただしい爪の痕らしきものがついていたら精霊さまが帰って来ている証拠といわれていた。この風習は昭和の初期まで残っていました。
 この日のお供え物としては、ゴマ豆腐、焼き麩の汁椀、インゲン豆に百合根、蒸しナスビの胡麻醤油そえ、サトイモの和えもの、豆腐の煮しめ。野菜はすべてその年の初物をつかいます。昼過ぎには牡丹餅(おはぎ)を供えします。
刺し鯖(さしさば)(江戸時代)
 「刺し鯖」とは背開きにした鯖を塩漬けにしもので、一尾の頭をもう一尾のエラの間に刺し二枚を重ねたものです。盆の14日、長崎奉行所で出るご馳走の中に柿の葉がしかれた「刺し鯖」があったといわれています。
15日のお供え物
 湯素麺、午後は、ささげご飯とさつまいもの蒸したのをお供えします。それに心太(ところてん)を仏様の鏡として丸い鏡の形(四角の形に切られる所もある)にこしらえた鏡心太(かがみところてん)を供えます。精霊さまは、この心太を鏡代わりに顔をなおし、姿かたちを整え西方浄土へ帰り支度をされるといわれています。

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2014年08月12日

長崎お盆でのお供えの特徴 長崎お盆でのお供えの特徴

長崎お盆でのお供えの特徴
 特徴的なのは「迎え団子(白玉団子)・むかえだご」で、燈籠と同じ意味合いで“だんご”をお供えしてご先祖様を迎えます。味付けは各家で違います。この迎え団子は指3本くらいでつまんだような形に作られ、鼻の形に似ていることから鼻団子ともいいます。
 迎え団子には「黒砂糖」と「きな粉」を混ぜたものをかけてお供えし、家族もそれをいただきながらご先祖様を迎えます。この迎え団子は、13日の夜のお供えの中ではなくてはならない物です。このときのお供えには、もやしの芥子あえを添え、麻殻(あさがら・エゴノキ科の落葉高木)で作った精霊箸をつけておきます。
 15日の御霊の帰りには、「小豆あん」を白玉団子にかけた「送り団子」が作られます。
 また、盆菓子と呼ばれる飾り菓子(細工菓子)も他県では見られない長崎の独特のお菓子です。盆菓子は仏教の世界に由来するものが集められていて、蓮の花、スイカ、ホオズキ、フキなどの飾り菓子が作られます。蓮の花は傘、スイカは水分、ホオズキは提灯、フキは杖と、それぞれに意味があるようです。お盆の13日から15日まで仏壇にお供えされますが、初盆の家では15日に「精霊流し」をするさい「むかえだご」と一緒に流します。
 また、仏事、祝い事共に他県では落雁(らくがん)が主流ですが、長崎にはうるち米を煎って粉にしたものに砂糖をふんだんに加え型打ちした「口砂香(こうさこ)」という打ち物もあります。落雁はもち米を使用しているため硬いが、口砂香はサクッとした口当たりが特徴です。寛永年間に町宿の唐人が長崎の人に伝えたものと言われています。
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2014年08月11日

長崎の盆祭り

長崎の盆祭り
精霊棚と呼ばれる出仏壇
 8月13日(旧暦7月13日)、家々では座敷に壇を設け、その上に精霊菰 (しょうろうごも)という萱(かや)で編んだ菰を敷き、仏間の位牌をすべて移して先祖代々、順々にならべる。これを精霊棚または出仏壇といいます。
 今日では家の間取りの都合などもあり、出仏壇は殆ど見られなくなったが、仏間の仏壇に菰を敷いてお供えをすることは行われています。
 15日の夜は、この精霊菰にお供え物を包みこみ菰の先端に線香を添えて、海岸(長崎では大波止)まで持って行き海へ流す。あるいは近くの川へ流しました。これが精霊流しの原形であるとも言われている。
 精霊菰が藁船(わらぶね)や普通の精霊船、催合船(もやいぶね・町内会でこしらえた船)、その他いろいろの形に変わり大きくなっていきます。現代でも派手な大きい精霊船が行く中で精霊菰包みを抱え静かに淋しく先祖の御霊を送っている姿を見るとしんみりとします。最近では精霊菰包みを町内の催合船に便乗させてもらうことが多くなっています。
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2014年08月10日

長崎の盆祭り

長崎の盆祭り
 長崎の「盆祭り」は、「ハタあげ大会」「お諏訪のくんち」と並び、長崎年中行事の最大祭にはいります。長崎の人は、お盆とは言わず、ただ単に盆といいます。
 長崎の盆は先祖や親族の精霊が十万億土のあの世から新暦8月13日 (旧暦7月13日)に、わが家へ帰って来て、15日にまた冥土へ引き返すのをあたかも生きている人間に対するが如く歓待するという情緒にみちた行事として伝承されています。
 13日、14日の墓所での灯篭点灯の夜景や15日の精霊流しの豪華で詩情に満ちた雰囲気が各地の人々の目を見張らせたことから長崎の盆は有名になりました。
 長崎の盆は中国の影響もあり独特の習俗が行なわれています。
 長崎のお盆は、先祖の御霊を迎える13日、各家では家紋入りの燈籠、迎燈籠(むかえどうろう)を軒先や縁などに下げ、仏壇には精霊棚と呼ばれる出仏壇をつくり、萱で編んだ精霊菰(しょうろうごも)をひき、その上に豊富なお供物を備え先祖の御霊を迎えます。そして初盆の家は16日、通常は15日に送燈籠(おくりどうろう)を下げ先祖の御霊を送り出します。
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2014年08月09日

69年目の「長崎原爆の日」

長崎は9日、69年目の「長崎原爆の日」を迎えた。
長崎市松山町の平和公園で10時35分より、「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営また。
原爆が投下された時間11時02分に黙祷。
その後、田上富久長崎市長の「長崎平和宣言
 「長崎平和宣言」で、「日本国憲法に込められた『戦争をしない』という誓いは、被爆国日本の原点であるとともに、被爆地長崎の原点でもある」と強調。
 核兵器保有国などへ廃絶に向けた協議の場を設けるよう呼びかけ、日本政府は、核兵器の非人道性を一番理解している国として、その先頭にたつよう求めた。
 さらに、いまわが国では、集団的自衛権の議論を機に、「平和の原点」が揺らいでいるのではないかとの不安と懸念が生まれていると指摘した。
 被爆者が高齢化するなか、田上市長は、若い世代が新しい活動を始めていることに触れ、「次の世代に『核兵器のない世界』を引き継ぎましょう」と呼びかけた。

「長崎平和宣言」文 http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/
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きょう長崎原爆の日 きょう長崎原爆の日

きょう長崎原爆の日
 長崎はきょう9日、69回目の「原爆の日」を迎える。

平成26年 原爆死没者名簿奉安者数
 165,409人(3,355人増)
(増加人数:平成25年8月1日〜平成26年7月31日受付分)
※ 165,409人は、昭和43年からの奉安者数累計数です。

長崎原爆の物理的影響
長崎原爆の爆発力は通常火薬(TNT)21ktに相当し、通常爆弾に比較して桁違いの爆風と高温状態が生じた。すさまじい爆風と熱線(輻射熱)に加えて放射線も放出され、総エネルギーの50%が爆風、35%が熱線、15%が放射線として放出されたと考えられる。

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2014年08月07日

原爆と放射線

原爆と放射線
放射線による被害(4
後障害後期
白血病
 急性リンパ性白血病、急性骨髄性白血病、慢性骨髄性白血病で線量反応関係が認められた。
現在までの研究によると、放射線誘発白血病は充実性腫瘍とは異なり、被爆2年目頃よりすでに発生がみられ、5〜7年目にはピークに達した。そして、過剰相対リスクは被爆時年齢の低い者ほど高いことが分かっている。

 放射線障害は白血病で終わったわけではありません。10年後から現在にいたるまで、被爆者に不安を与えているのはいろいろな臓器の癌です。なぜ長い潜伏期を経て発病するのか明らかではなく、人類がはじめて経験した大災害の影響に対して、これからも絶え間なく研究が望まれます。
甲状腺癌
 被爆者に甲状腺充実性結節(甲状腺癌、腺腫、腺腫様甲状腺腫、組織学的診断のない結節)が有意に多く、被曝線量が多いほど患者数が多かった(また被爆時年齢が低いほど患者数が多かったことも分かっている)。
乳がん
 被爆時年齢の低い者は高い者より過剰相対リスクが有意に高い。
胃がん
 被爆時年齢の低い者は高い者より過剰相対リスクが高い。
 女性は男性よりも過剰相対リスクが高い。
多重癌
 多重がんとは、ひとり2個以上の臓器に発生するがんのことである(例:胃がんと大腸がん、甲状腺がんと乳がんと皮膚がん、など)。
 多重がん発生の増加は放射線などのがん原因子の全身的曝露や個人のもつ腫瘍になりやすい性質を反映するものとみなされる。原爆被爆者では若年近距離被爆者ほど多重がんの罹患率が高いことが判明した。近距離被爆者での多重がん罹患の有意な増加は、1980年代から始まり、現在まで継続している。このことは多重がん発生への放射線被曝の関与を示唆している。多重がん罹患は原爆放射線のもつ人体への晩発性影響のひとつであり、現在においてもそのリスクは継続している。

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