2014年08月30日

敬老の日

敬老の日ギフト
今年の敬老の日は9/15(月・祝)。
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 長寿を祝い、健康を願うフラワーギフトを贈って、笑顔をお届けしませんか?
 離れて過ごす、おじいちゃん、おばあちゃんや、御世話になった方へのお礼ギフトとしても!
 秋色が和やかなフラワーギフトは、爽やかな癒しの風を感じさせてくれます。
敬老の日ギフト紹介ページへ:ふらり寄り道Store(花の贈り物)
posted by 太鼓山 at 10:37| 長崎 ☁ | TrackBack(0) | 今週の売れ筋商品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月25日

第10回 長崎中華街 中秋節

第10回 長崎中華街 中秋節
千の灯に魅せられる月夜の中華街
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 中秋節は中国の三大節句(他は春節、端午節)の一つで、日本では『お月見』として親しまれているお祭りです。月がもっとも明るく、もっとも丸く、もっとも美しい中秋の月を家族団らんの象徴として祝います。長崎新地中華街に灯る千個の満月灯籠は圧巻です!
 来て、見て、食べて、秋の祭典をお楽しみください。
 年に一度、中秋節だけのお得なサービス「月見(グルメ&グッズ)セット」の販売や、中華街店舗ご利用の方にスタンプラリーカードを進呈し、中華街四門下に祭壇を祀っていますので、それぞれの祭壇に設置されてあるスタンプを全て集めた方にもれなく月餅をプレゼント!!
 新地橋広場では、ランタンフェスティバルでお馴染みの縁結びの神様月下老人のオブジェが飾られ、中華屋台・中秋スイーツ・開運占いの出店も並びます。
期間中、チャイナ服を着てきた方にはプレゼントも用意されてあります!
◎ 期間:平成26年9月5日(金)〜9日(火)
◎ 会場:長崎新地中華街・新地橋広場
◎ 時間:17:00〜21:00 【提灯点灯時間】17:00〜22:00

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紀伊國屋・メトロ書店・楽天ブックス他ネットストアにて取扱中
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2014年08月24日

中国盆:補施(ぶおぜ)

中国盆:補施(ぶおぜ)中国盆5日目の行事
 中国盆会は一応、三日間で終わりますが、その翌日の4日目は信士(信者の位)を寺に招いて供え物をご馳走します。
 5日目、「補施」を行います。「補施」は体が不自由で3日間の「中国盆」に間に合わず、遅れてきた精霊様に対して行なう法会です。
 いわゆる施餓鬼の営みで、有縁の仏はおろか、無縁の仏にも、また、遅れてきた仏にも配慮の行き届いたところが特色で、すべての仏を大切に思う気持ちから行われています。
 山門から本堂まで足元に竹線香を並べ、体が不自由な仏が迷わずに到着するように道標の気配りをします。
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2014年08月23日

中国盆会:七爺八爺(ちーやぱーや)

中国盆会:七爺八爺(ちーやぱーや)
七爺八爺

 崇福寺第一門(竜宮門)をくぐり第二門「国宝・第一峰門(海天門)」のところに、中国盆の日にノッポとチビの人形が飾られてあります。城隍爺の部下で、背が高く長顔でベロンと出た長い舌が特徴の白衣の人形は七爺(謝将軍・謝必安)と呼ばれ、背が低く黒い丸顔は范将軍(范無救)といって八爺と呼ばれています。この二人は人間の魂を冥土(城隍爺)につれて行く役目の神であるといわれています。
 この説の出所は毎年旧暦5月13日に中国の南の地方で行なわれる「城隍廟」の祭りに、高爺と矮爺が町に出てきますが、これが七爺八爺の顔、姿そっくりであり、名前も范と謝です。
 他説に、ノッポの七爺とチビの八爺は、生前大の仲良しであった。ある時、2人は橋の下で待ち合わせをしました。しかし、その日は雨で、八爺は雨の中で待つが七爺はなかなかやってきません。そのうち大雨が降りだし水かさも増すが八爺は友への忠誠心のため動こうとせず、氾濫した川にのまれ溺死してしまいます。それをあとで知った七爺は、大変悲しみ首を吊って死んでしまいます。
 2人は死後、城隍爺に召喚され部下として2人仲良任務にあたっているのだという華南地方の伝説があります。

七爺:ベロンと出た長い舌が特徴。首吊りをしたので舌が出ているのだとか。神様軍団の中でもひときわノッポ。
八爺:巨大な神様軍団の中で一際小さくて黒いのが八爺。
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2014年08月22日

中国盆会:崇福寺

中国盆会:崇福寺(鍛冶屋町)
精霊さまの遊び場所
精霊さまの遊び場所
 中国盆のとき崇福寺の境内に入ると、「大雄宝殿」の前にパノラマの「冥宅・めいたく」という小さな建物が並んでいて、娯楽室、沐浴室(精霊さまが風呂浴びする場所)女室(女の精霊が休息する場所、男は娯楽室で休む)、舞踊場(精霊さまたちが芝居や踊りをして楽しむ場所)などがあり、精進料理が供えられ絶えず香煙がたちのぼっています。
 それと、精霊さまがショッピングされる街も本堂脇にパネルに描いた36軒堂の店(肉屋、魚屋、帽子屋、時計屋、薬屋、床屋等)が造られてあります。これは冥土のショッピング街で、精霊さまは思い思いに店を訪れて品物を買い楽しむことが出来るようになっています。中には棺(ひつぎ)を売る店もありして、精霊さまには必要でないものまであるようです。
posted by 太鼓山 at 10:27| 長崎 ☔ | TrackBack(0) | 文化と風習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お肌の疲れが気になる方へ

盆も明け、8月も下旬。そろそろ、お肌の疲れが気になる方も多いのではないでしょうか。そんな今、シーラボからうれしいお知らせです。
よりパワーアップしたゲル“新BIHAKUスペシャル(濃厚ゲル)”が、
今年も夏の肌疲れをレスキューすべく、緊急発売!しかもうれしいプレゼントつきです。
また、今なら12,000円(税込)以上お買い上げの方に目元や口元に効く「ポイントケア美顔器」をプレゼント!そのほか、ワクワクするニュースが満載です。
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2014年08月21日

中国盆会(ちゅうごくぼんえ)2

中国盆会(ちゅうごくぼんえ)2
金山、銀山
中国盆第1日:僧侶により御経が上げられ、釈迦その他尊者の霊を慰める。
中国盆第2日:同じく御経を上げて亡者や霊を呼ぶ。
中国盆第3日:全世界の霊に対し供物をあげ、迷い出て人にいたずらしないように金山、銀山、銭山、衣山などを燃やして米饅頭を天に向けて投げ、霊を送ります。
 金山、銀山は金銀貨を意味し、これが一年間の小遣い銭となります。また衣山は着物、洋服、履物等を意味しています。
中国盆第4日:中国盆会は一応、前の三日間で終わりますが、その翌日の四日目は信士(信者の位)を寺に招いて供え物をご馳走します。
posted by 太鼓山 at 09:33| 長崎 ☁ | TrackBack(0) | 祭り・行事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月20日

中国盆会(ちゅうごくぼんえ)

中国盆会(ちゅうごくぼんえ)
中国盆会(崇福寺) 平成26年8月21日(木)〜23日(土)(旧暦7月26日から28日の3日間)、福州人の菩提寺である崇福寺(長崎市鍛冶屋町)で行われる。
 この盆祭りは、正式には「普度・盂蘭盆勝会(ぼーる・うらぼんしょうえ)」といい、日本とはひと味違う日本に在留する中国人が死者の霊をなぐさめるための盆会です。
 日本の盆と違う点は有縁仏だけではなく無縁仏をも同時に行なうことです、いわゆる「施餓鬼(せがき)」の営みでもあることです。
 昔は、崇福寺(福州寺)、福済寺(漳州寺)、興福寺(南京寺)の3寺合同により唐人屋敷の福建会館で行われていました。
 この期間中は、もうもうたる香煙、中国爆竹、とびかう中国語、艶やかな中国服の美女たちで、他の地方では見られない雰囲気にみちています。多数の長崎市民も見物をかねてお参りをしています。
日時:平成26年8月21日(木)〜23日(土) (旧暦7月26日〜28日)
場所:聖寿山・崇福寺(鍛冶屋町7-5)
アクセス:正覚寺下電停から徒歩約5分。崇福寺入口バス停から徒歩5分。

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2014年08月19日

「産女の幽霊」像にまつわる民話

長崎市伊良林町の光源寺に残る「産女の幽霊」像にまつわる民話

 昔、長崎の麹屋町に一件の飴屋さんが、ありました。
 今日も、あたりが暗くなってきたので飴屋の主人は、戸締りをしてやすもうかとしていました。
そのときです。トントン トントン・・・・と、表の戸をたたく音がします。
「もうし・・・・こんばんは・・・・すんまへん・・・」京なまりの女の人の声です。
 こんな夜更けにだれやろか???と主人は、寝床から立ち上がり、戸を少し開けてみると、そこには真っ青な顔をし、白い着物を着た若い女の人が立っています。
 「こんな夜更けになんの用ですか!」と主人が尋ねると、「すんまへん、飴を、飴を売っておくれやす」か細い声で言って、一文銭を差し出しました。
 「一文がとね」主人は、飴を紙袋に入れ手渡した時、一寸触れた女の人の手が氷にでもさわったようにヒヤーッとしました。女は、飴を手にするとすっとかき消えました。主人は戸を閉めて“あ〜気味の悪さ、一体どこの女じゃろか?元気のなかおなごじゃ”とつぶやきながら、布団にもぐりこみました。
 ところが翌晩も、またその次の晩も女の人は飴を買いにきたのです。それから、七日目の晩。
 主人は思いあまって、町内の若者たちを集めて相談し、この女の後をつけ、今晩こそどこの誰かをつきとめようと何くわぬ顔して待ちました。やはり今晩も女の人はやってきました。今までと違い、なんともいえないくらいにさびしそうな顔をしています。「すんまへん、今日はお金がなくなってしまいました。どうぞ飴をめぐんでくれはりますか。」
 聞きとれないほど細い寂しい声です。主人は気味の悪さも忘れ、あわれに思い飴を気持ちよく分けてあげました。女の人は喜び、何度もお礼をいいながら真っ暗になった寺町の方へと出て行きました。
 打ち合わせどおりに主人は若者たちと見えかくれし後をつけて行きました。シーンとした人影のない寺町通りをすぎて伊良林へと角をまがり、どんどんと行きます。一体どこへ・・・・・とみなが顔を見合わせながらつけていくと、光源寺の山門をくぐり石段をのぼり、本堂横の暗がりの墓へ。こりゃ、いよいよおかしかばい、ひょっとすると・・・・・・と、首を傾げながら見つめていると、女の人は新仏の墓の中へスウーッと消えるように入っていった。何だか見てはならないものを見てしまったようで、背筋にゾゥーっと寒気が走り、みんなは一目散に逃げ帰りました。
 夜の明けるのもまった飴屋と若者たちは、さっそく伊良林の光源寺に出かけ住職をたずねました。
 一部始終を聞いた住職は、手をあわせ「世の中には不思議なことが多いものじゃ、しかしこの光源寺でそのようなことがあろうとはのう・・・・」と、しばし考えていたが、早速に墓守を呼び、鍬を持ってこさせ、住職は飴屋の主人に墓に案内するよう言い、住職の後には若者たちと墓守が神妙な顔で従います。
 その墓は、新しく土盛がされていて、その手前には燃え尽きた蝋燭と線香の灰が葬られたときのそのままでした。
住職の読経がすみ、みんなが念仏を唱えるなかを、墓守が新仏の墓に鍬をいれました。すると・・・、なんと生まれてまもない元気そうな赤ちゃんが母親のお腹の脇に丸くなり、飴をしゃぶっているではありませんか。びっくりした一同は、拾い上げた赤ちゃんを袢纏に包み、急いでお寺へつれていきました。
 この女は葬られた時に入れてもらった、冥土への6文銭を一文ずつ使って、毎日のように赤ん坊に飴を買い与えていたのです。
住職は新仏の墓の持ち主を調べたところ、それは筑後柳川(現:福岡県柳川市)出身で地元では、左甚五郎とまで呼ばれた長崎在住の藤原清永という宮大工ということが分かった。
 さっそく住職は、墓を建てた清永のもとに墓守を走らせ事と次第を伝えさせた。
 そして住職の計らいで、赤ちゃんは父親である清永のもとで育てられることになり、飴屋の主人や町内の若者たちは、「ほんとうによかったのう、よか功徳になったばい。今夜からはゆっくり寝るばい」と、喜びました。
 さて、この赤ちゃんの父親、藤原清永とこの若い母親とはどういう関係だったのでしょうか?
 延享時代(1744年〜1747年)、清永が仏像の彫刻修行で京都に滞在している頃、泊まっていた宿の女の人と恋仲になっていたのですが、長崎の親元から急いで戻るようにと矢のような催促です。清永はいたしかたなく「必ず迎えに戻ってくるから・・・」と、恋人に固い約束をして後ろ髪をひかれる思いで、京を発ったのです。
 清永が長崎に戻ると、そこには親が決めた嫁になる人が待っていました。気の弱い清永は京都にいる恋人のことを口に出せないまま、とうとう親からいわれるままにその女の人と結婚してしまいます。
 一方、京都の恋人は藤原清永の言葉を信じ、迎えを今日か明日かと指折りかぞえて心待ちにしていましたが、待ちきれず、恋人は清永の子を身ごもった身体で長崎まで清永を訪ねて一人旅をすることになりました。
 長い道のりと一人旅の心細さを踏み越えてやっと清永がいる長崎についてみると、恋い慕ったあの清永が、他の女の人と結婚していることを聞き絶望の渕に突き落とされ、はりつめていた心もくずれおちてしまいました。あまりの悲しさ、くやしさに加えて、長旅の疲れがどっと出て、とうとう病の床につくと同時に、一人寂しく死んでしまいました。
 自分を追って長崎に来た恋人の死を伝え聞いた清永は、以前宮大工の仕事をした縁のある光源寺の本堂の裏手に手厚く葬ったのです。
 でも、その赤ちゃんはお墓の中で生まれて立派に育っていたのです。死んでも死にきれなかったこの母親は、棺に入れられていた冥土への一文銭六枚を毎晩、一枚ずつ手にもち、乳が出ないお乳のかわりに飴を買いに通っていたのです。お母さんの子を思う心の素晴らしさに感動せずにはおられないではありませんか!!
 それから、幾日か経った夜更けにまた、あの女の人の幽霊が飴屋に姿を見せました。
 主人が眠りに付こうとしている時です。トントン、トントン・・・・と戸をたたく音「もうし、すんまへん」「もうし・・・・」と、聞き取れないほどのか細い声です。
 主人は心臓が止まるくらいびっくりしました。また、あの女の声です。引き寄せられるように表の戸をソロリソロリと開けてみると、やっぱりそうです同じ白い着物を着たあの女の人です。でも、今までと違って、嬉しそうで優しい顔でした。
 「あんたはんのおかげで、子どもは父親の元で育ててもらえるようになりました。今夜はご恩返しをしたい気持ちがいっぱいで、やってまいりました。お礼に何ぞ差しあげとうおすが、困っていることがありましたら、遠慮せずおっしゃっておくれやす」というのです。
 飴屋の主人はしばらく考え「うーん、このところ長崎は雨が降らんけん水がいっちょんなかとたい、みんな困っとっとですたい。でくるじゃろうか?」
「はぁー。そないに困っとるのどすか・・・。それじゃー、明日朝早ゆーちに、うちの赤い櫛が落ちている所を掘ってみておくれやす。きっときれいな水が湧き出しますよ。ほな、ほなさいなら、ほんに、おおきに・・・・。」
 腰をかがめお礼を言うとスウーと、消えて行きました。主人は怖ろしさでヘタヘタと座り込んでしまいました。
 主人は一睡もできませんでした。それでも、翌朝、町内付近をあちこちと櫛を見つけて回りました。あったっ! ありました。寺町から麹屋町に通じる坂道を下りたすぐそばに、赤い女物の櫛が落ちていました。おそるおそる櫛を拾い上げ、大事に懐にしまい、みんなとそこを掘りはじめました。鍬を一振り、二振り、・・・・十振りもしないうちに、チャポッと水音がして、こんこんときれいな冷たい水が湧き出してくるではありませんか。みんなは飛び上がって喜びました。
「ワァーッ!水が出たぞー、町に水が出たぞう!!」付近の人は朝早くから何の騒動か、目をこすりながら水の周りに集まってきました。飴屋の主人が身振り手振りで「実はかくかく、しかじか・・・」と一気に説明をしました。町内の人たちは、もう水で苦労をすることがなくなったのです。「よかった、よかった。」と女の人に感謝しました。
 その後、町内の人たちの協力で立派な井戸が作られました。その井戸はどんな干ばつの年でも水は渇れることなく、何時も地面すれすれまできれいな水をたたえ町内の人々をはじめ遠くの人々の喉を潤おしました。
 その後、この井戸を人々は『麹屋町の幽霊井戸』と呼ばれるようになりました。この井戸は町の賑わいとともに埋められ、今、麹屋町の道路脇に、ひっそりとその跡を残しております。

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posted by 太鼓山 at 08:41| 長崎 ☁ | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月18日

「産女(うぐめ)の幽霊」ご開帳

「産女(うぐめ)の幽霊」ご開帳
 長崎市伊良林1丁目の光源寺で8月16日、江戸時代から語り継がれる「産女の幽霊」像が開帳され、多くの親子連れや学童クラブの児童らがお寺を訪れ参拝していました。
 時々光る不気味な目、痩せこけた頬に大きな口。年に一度だけしか見ることができない「産女の幽霊像」。
 「産女の幽霊」は寺の墓地に埋葬された妊婦が墓の中で出産し、幽霊になってでも赤ん坊を育てようと、三途の川を渡るための6文を使い、母乳がわりに飴を買い与え赤ちゃんを育てたという。別に「飴屋の幽霊」とも呼ばれています。
 参拝すると子を思う母の一念が願い安産となり、また、寺で配られるあめを食べると母乳がよく出るといわています。
産女の幽霊像
posted by 太鼓山 at 10:33| 長崎 ☔ | TrackBack(0) | 文化と風習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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